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オープン社内報🔫 社員インタビュー 早稲田アカデミー個別進学館 錦糸町校 池田祐太朗さん

皆さん、こんにちは。
スポーツ事業部の浅井(@ケニチロ)です。

早稲田アカデミー個別進学館 錦糸町校の池田祐太朗さんにインタビューいたしました。

実は私と池田さんは同い年で、1年ほど勤務地も被っています。そんなこともあり、多少なり彼の活躍というのは刺激になったり、意識する部分がありました。

どんな経緯でこれまで仕事をしてきたのか。知っているようで知らなかった池田さんの社歴を聞いてきました。最後まで、お付き合いいただければ幸いでございます。


明光義塾での講師時代

ジプロスとの関りは明光義塾 曳舟教室でアルバイト講師として働き始めたことから始まった。4年ほどの勤務する中で、名実ともにエース講師へ成長。教務力でいえば、グループ内でも知られた存在になっていた。そんな折、立て直しの必要に迫られていた明光義塾 錦糸町校から声がかかる。この後、彼は傭兵のようにジプロスの激戦地を転戦するわけだが、これが最初の出兵要請だった。

池田:いきなりだったので「えっ?」と思ったんですが、そろそろ環境を変えるのもいいかなと考えていたので、二つ返事でOKしました。
ただ、状態が想像以上で、ビックリしましたね。始業のベルが鳴っても、生徒が机につかないで、床とかで駄弁ってるんですよ。で、それを講師たちも黙認してるような感じでした。これはヤベーなと思って、異動初日のミーティングで「やる気ない奴は辞めろ」とかましたら、本当に半分くらい辞めてしまって。(笑)

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写真は当時の明光義塾 錦糸町校。今は廃校となっている。実は池田さんが錦糸町校に移った1年後、私も明光義塾 錦糸町校で働き始めたのだが、モラルハザードが起きていたとは思えなかった。おそらく、池田さんがビシビシやった結果なのだろう。


早稲田アカデミーとの出会い

明光義塾 錦糸町校での勤務も2年ほど経った頃。別の戦場から声が掛かかった。早稲田アカデミー個別進学館(以下、早稲アカ個別)だ。当時はまた早稲アカ個別という業態はなく、完全に白紙の状態。立ち上げに、ジプロスが参加することとなった。
早稲アカ個別は簡単に言ってしまえば、明光義塾の高級版。当然高い教務力が求められる。そこで教務主任として池田さんにオファーが届いた。

池田さん:正直、教務力ならオレが1番だと思っていたんですが……早稲アカのレベルが凄く高くて本当に衝撃的でしたね。生徒の学力だけでなく、親御さんからの要求も厳しくて……。頭をハンマーでぶっ叩かれたような、そんな感じでした。

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そこから池田さんは、計3年ほど早稲アカ個別 木場校で研鑽を磨く。立ち上げ時期ということもあり、苦戦続きだったが充実した時間を過ごしていた。ようやく早稲アカ個別 木場校が軌道に乗り始めた矢先、別の場所からSOSが入った。

明光義塾教室長か早稲アカか

SOSは新小岩北口教室からだった。今度は教室長として。明光に戻り自身初の教室長か、このまま早稲アカ個別で勝負か。難しい選択を迫られた。

池田さん:人生で一番悩みました。木場校がこれからというタイミングでしたし、教室長として自分の力を試したいという気持ちもありました。……最終的に明光義塾の教室長を選んだんですが、なんでそうしたのか、今でもハッキリ理由は分からないです。ただ、いつか絶対に早稲アカに戻って、成功させると誓ったことは覚えています。

強い決意を胸に傭兵は新たな戦場へ。この新天地で司令官として奮闘を続けた。不慣れな立場で、時間こそ掛かったが手ごたえも得た。勝負の4年目。あとは結果を残すだけ。……そう思っていたところに、また予想外の依頼が舞い込む。

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再び早稲アカへ

それは奇しくも、いつか帰ると誓った早稲アカ個別 木場校からだった。教室長として。しかし、最初は乗り気ではなかったらしい。

池田さん:自分としては北口教室で納得のいく結果を残せていませんでしたので。正直、未練がありました。とはいえ、成長して早稲アカに戻れるのも事実なので、だったらやってやろうと。

木場校に戻った池田さんは、ここで過去最高の数字を出す。紆余曲折あったが、自身の誓いを果たすことになった。さらにその結果が買われ、現在勤務している早稲アカ個別 錦糸町校のオープン教室長に指名された。錦糸町校はコロナ禍の中、ハイペースで生徒数を増やし続けている。

各地を転戦しながら、確実に積んだ経験値がようやく数字となって表れているように感じられた。

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インタビューの最後に今後の目標を聞いてみた。

池田さん:うーん、そう言われてみると意外と出てこないですね。結構、忠義を尽くすタイプなので、「この人に付いていきたい」と思える人と出会いたいですかね。(笑)

かなり意外な返答だった。ただ、確かに必要に迫られて戦場を転々とするジプロスの傭兵らしい言葉かもしれない。生涯一兵士。今後はどこで戦うのか分からないが、池田さんには死ぬその日まで戦い続けてもらいたい。

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