花火大会で思い出すこと
私の田舎は、ちょっと外の人にも誇れるような花火大会が8月に催されます。
田舎人なりのささやかな勲章とでもいうのでしょうか、ちっちゃな頃から、あの花火大会
は、本当に凄いんだよ。数といい、質といい。
なんて、親や、周囲の人から聞かされていました。
で、思春期のはなし。
だから、みんな、異性を意識した年頃から、小学生の高学年くらいかな。
誰に、告白して、誰と花火大会に行くか?なんてことのすごい妄想がはじまります。
もう、暑くなると同時くらいに、頭の中もそれをなんとか実現させようとヒートアップみたいにしてる状態になります。
もう、一生懸命ラブレター書いたり。もちろん、紙とペンつかって。
辺り構わず告白しまくり、振られまくる奴とか。
狙いを定めて、新年ぐらいから慎重に、好きな子にアプローチをしてく奴とか。
ブッキングしてテンパってる奴とか。
それは、それは、田舎のちっちゃな10万人都市ですが、街全体ですかね、そわそわしてるんです。
ゆっくりね、ゆっくり、いつもよりゆっくり学校から帰るんです。意味なく、振り返ったりとかしたりして。意味なく、公園道草したりとか。別に、したくもないのに。
......誰か、告白にこないかな?.......
下駄箱開けるのに、手紙!と、期待して毎日開けたりとか...
机の中を無意味にさばくったりとか....
なので、毎年、花火ときくとあの頃の情景をいつも思い出します。
なんの予定もないのに、なにかを待ってる期待感とワクワクな気持ちと一緒に、授業の終わった、放課後の教室の残っている感覚、あの空気感。
他愛のない雑談。
でも、みんな頭の中は、なんか違うこと考えてる。
僕にとっての花火大会って聞くと、綺麗さや、凄い音でもなんでもなく、何かを、起こり得そうなで起こり得ない、
『奇跡を待つ』は、言い過ぎかな。
あの、待っている、
なんとも言えない恍惚感に満たされた、
それは、それは、美しい教室の夕暮れの風景を思い出します。