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017お経を読む
こんにちは。
4月も終わりに近づき、すっかり初夏の陽気ですね。
昨日は、家から最寄りの川までお散歩しました。大人になると歩いたり、走ったりすることが少なくなります。だからこそ、何も考えずに、お日様の下をゆったりと歩いて、川べりに座って、ぼうっとすることは、普段せわしなく働いて、悩み苦しみ生きている我々には大切なことなのかもしれません。
さて、今日はお経の話を少しだけさせていただきます。お経と聞くと、何やら呪文のような良く分からない単語の羅列で、ご利益がありそうで、特別な力が込められているとお思いでしょう。実際に私も仏教に関することを調べるまでは、そう思っていました。
しかしながら、実際には、もちろん宗教的な真理が説かれていますが、それ以上に、現代でも十分に通じる生き方や考え方を示してくれる時代を超えたメッセージの宝庫です。実際に、先日読んだ「仏説無量寿経」の現代語訳から、気に入っている箇所をご紹介します。
「世間の人々はまことに浅はかであって、みな急がなくてもよいことを争いあっており、この激しい悪と苦の中であくせくと働き、それによってやっと生計を立てているに過ぎない。
身分の高い者も低い者も、貧しい者も富める者も、老若男女問わず、みな金銭や財産のことで悩んでいる。それがあろうがなかろうが、憂え悩むことには変わりがなく、あれこれと嘆き苦しみ、後先のことをいろいろと心配し、いつも欲のために追い回されて、少しも安らかな時がないのである。」
この箇所を読んだ時、はっと思い知らされました。確かに、今までの自分を見返すと、あくせくと働いて、我欲丸出しで生きてきたなぁと実感させられ恥ずかしいばかりです。
お経ではこの後に、「田があれば田に悩み、家があれば家に悩む。」と続きます。どれだけお金や物を手に入れても、欲に振り回されて手に入れたものでは、悩むことには変わりなく、思いがけない天災などにあえば一瞬ですべて失われます。それなのに、我々は、いつも欲に振り回されて、大切なことを見落としてしまっています。
お金や物は、間違いなく、現代社会においては大切ですが、考えすぎるのはよくない。ましてや、それに追われるような人生では、寂しく悲しいばかりです。少し立ち止まって、たまにはゆっくりと考えてみることが必要なのではないかと思います。
毎日とは言いませんが、2000年前を生きた先人たちの智慧に少し耳を傾けてみるのもよいのかもしれません。そうすれば、少しばかり心安らかに過ごすことができるのかもしれません。
合掌。南無阿弥陀仏。