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022母の命日
こんばんは。寒い日が続いていますね。
本格的な冬まで、あと少しです。どうぞご自愛下さい。
さて、今年で2回目の母の命日を迎えました。生きていればもう数年で還暦。
亡くなる直前まで、仕事や介護に追われていた母でしたが、もし老後があれば、楽しくゆっくりと過ごすことができていたのでしょうか。
人生に、もしもは存在しないので、分かりません。しかし、そんなことを考えずにはいられないのは、人の性(さが)、なのでしょうか。
少しだけ、今の気持ちをお話させてください。
自分なりに、この2年の間、仏教の教えに触れてきました。しかし、いまだに本心から母の死を受け入れることが、できていないように思います。ふとした日常の一コマで、母のことを思い出し、まだ何処かに生きているのではないかと、現実を見れない自分がいます。
お釈迦様は、死の間際に「諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。」と弟子達におっしゃったと伝えられています。全てのものは、必ず滅ぶ、お釈迦様が最後に伝えられた真理です。
当たり前の簡単なこと。生きているのだから、老いて、病になって、必ず死ぬ。ただ、それに納得することが、これほどまでに難しいとは、今まで、想像することが、できませんでした。
私の母は、死の数日前から、コピー用紙の裏紙にちょっとした日記のようなものを残しておりました。そのころには、ほとんど目が見えていなかったはずなのですが、リハビリとして、毎日少しずつ書き溜めていたようです。
残念ながら、ただの裏紙で、はっきりいうとゴミにしか見えないため、見つけた時には、ほとんど無くなってしまっており、残っているのは、救急車で運ばれる数日前のものだけです。
その中に、「話せるってしあわせ」という一言がありました。病の縁で、命を削りながら書き留めた、その一言が重く響きます。
母が亡くなるまでの私にとっての幸せは、いい仕事について、お金をいっぱい稼いで、美味しいものを食べて、欲しいものを手にいれて、周りの人達より、少しでも豊かに、ちょっとでも自慢できるように、優越感に浸り自己満足する。そして、自分のことを棚にあげて、他者や社会に文句をつける。
思い返してみると、なんて自分勝手なことをしていたのだろうと思います。幸せは、思ったよりも近くにあって、既に手に入れていたのかもしれません。
ただ、そのことに気づくことは難しですし、私自身、今でも、お金が欲しくないと言えば嘘になりますし、人より、いい暮らしをしたいという気持ちは消えません。
しかしながら、時には、立ち止って、ゆっくり振り返って、考えてみるのも良いかもしれません。少なくとも、病に侵されて目も見えなくなっていた母が、もっとも幸せだったのは、言葉を交わす時間だったようです。
母が残してくれたこの一言は、きっと何かの縁なのだと思います。全てのものは、必ず滅びる。この無常な世界の中で、当たり前の何気ない一瞬を大切に、しっかりと生きていきなさい。そう最後に教えたっかったのではないかと感じています。
合掌。南無阿弥陀仏。