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019六道輪廻
こんにちは。
今年は、遅めの梅雨になりました。梅雨が遅かったので、長雨と暑さが同時にやってきて、過ごし難い日々が続いています。最近では、低気圧による気象病がニュースでも話題となっているところです。季節の変わり目、くれぐれもご自愛くださいませ。
さて、今回は、六道輪廻について、少しお話させていただければと思います。輪廻の思想は、古代インドに遡るかと思いますが、簡単に言えば、命あるものが何度も転生し、生まれては死ぬことを繰り返して、人や動物あらゆる生命に生まれ変わりながら生きていくことです。
お釈迦さまは、この生死を繰り返す輪廻を苦の根源として、苦しみの世界から抜け出すため、修行に入られ、二度と生まれ変わることのない涅槃に至りました。実際に、前回お話したダンマパダの中でも、「351 さとりの究極に達し、恐れること無く、無欲で、わずらいの無い人は、生存の矢を断ち切った。これが最後の身体である。」と宣言されています。
ここから、時代が下り、仏教では、その人の行い(=業)の結果として、6種の世界(六道)のいずれかに生まれ変わるという考え方である六道輪廻が定着しました。
上から順に、
・天界:苦しみが少なく楽しみが多く、寿命が長い世界
・人間界:苦楽相半ばの世界
・修羅界:絶えない争いの世界
・畜生界:弱肉強食の世界
・餓鬼界:飢えと渇きの世界
・地獄界:最も苦しみの激しい世界
です。
この中で、唯一、仏教に出会うことができるのは、苦しみと楽しみの間にあって、日々を悩み苦しみながら生きている人間界だけだと言われています。
飢えや争いの中では、お釈迦さまの教えに耳を傾ける暇もありませんし、たとえ、天界であっても、楽しい日々の中で、仏の教えを聞く必要性を感じません。ですが、老いや死から逃れることは出来ず、いよいよ死の直前になって、焦り、もがき苦しむのです。しかし、後悔しても遅く、生死の永遠の輪廻の中で、当てもなく迷いの世界を彷徨い続けるのです。
ここで、少し自分勝手な解釈ですが、私自身は、六道輪廻とは、今の世界と別にある世界ではなく、それぞれの心の内に広がる世界だと思っています。
・天⇒快楽に溺れる中で、大切なことを見失う心
・人⇒他の5つの世界を行き来しながら、苦悩する心
・修羅:競い合い争う心
・畜生:自分勝手で他者を顧みない心
・餓鬼:欲望が満たされず苦しむ心
・地獄:他者を傷つけ罪を犯し苦しむ心
周りを見渡してみると、修羅のように、他人を蹴落として手に入れた財産を使って、天人のような優雅な暮らしを送り、大切なことを見失う。そして、縁が尽きれば奈落の底に真っ逆さまに落ちる。
あるいは、畜生のように、自分勝手で他者を顧みずに、やりたいことだけをやり他者に迷惑をかける。欲望が満たされずに永遠に苦しみ続ける。そんな人が多いのではないのでしょうか。
人とは、天、修羅、畜生、餓鬼、そして地獄の中を行ったり来たりする中で、苦悩して、悩み苦しみながら考え抜いて生きている姿であると考えています。だからこそ、お釈迦さまの教えを聞くことができ、そして、悩み苦しむ全てのものを救うという阿弥陀仏と出会うことができるのだと思います。
阿弥陀さまは、わが名を呼ぶすべてのものを救われると言われています。今こそ、阿弥陀仏に全てをお任せして、あるがままに生き、この六道の苦しみから解き放たれて、浄土に行きたいものです。
合掌。南無阿弥陀仏。