見出し画像

アンスクーリング

ここ数日、息子と向き合っている。

幼い頃は本当に自分の好きを大切に出来てたはずなのに、学校生活、社会生活を通して、自分が何が好きなのか全くわからなくなっている。

もちろん学校、社会で適応しながらも好きを大切にしてる人はいるとは思う…でもこれが正義…って空気の中で自分を貫くのはなかなか難しいものがあるな、と。優しい人であればあるほどに。どんな状況でも自分を大切に出来たらいいのだけど、そんな風に達観するには色んな経験からの思い込みや心の傷を手放さなければいけない。


自分の人生は自分のもの。他人軸で生きていかない、と決められる人に育てる事が、学校に行く事よりも大切だったと今更ながらに気付いた。


そんな反省が末っ子育児に活かされている。シンプルに好きか嫌いか、行きたいか行きたくないか、やりたいか、やりたくないか、etc...

今現在までの学校、社会ってやりたくない事でもみんな一律にやらされる。
いつ何をするのかも決められてる。
今は絵を描きたいっていうその子の好き、やりたい、をやって絵を描いてたら、先生に注意される。

みんなと一緒にできない子と判断され発達障害やね〜と支援、支援、支援を受けてください、と言われる。

人間は元々多様は前提だけど、それでも今の子どもたちと昔の子どもたちってかなり違っている。色んな社会的背景と生物学的背景も併せて。だから尚更、昔の価値観で子どもたちを縛り付ける事の罪は大きい。


学校というコミュニティ、そこに違和感を感じてる子どもたちがどういう想念を発するかというと、しんどい、つらい、もう逃げられない、自分はダメだ…等等。

そんなネガティブを発していると、悲しいかなどんどんネガティブなものが寄ってくる…引き寄せの法則とか注意制御機能とかでも言われてるやつだ。

無意識のうちにそうなってるから、気付いたらあれ?ネガティブな事にまみれて、自分の好きがわからん…となる。。。

学校が好き!学校最高って人たちとは戦わなくていい。学校でそつなくこなせてる子でも、魂が喜んでない、必死で順応してる子どもたちもいる。大抵の場合、大人はそれを見抜けない。そんな空気に自分の尊厳を踏み躙られるなら、そこからは距離を置きたい、自分を護りたいよね。


なので不登校(学校に行くべきなのに行かない)ではなく
アンスクーリング(学校自分にはヤバい所やから離れる)なのよ。

今からでも自分を満たせばいい。今のしあわせな時間が将来にも通じてるんだから。大人も子どもも。泥水を吸い上げながらも美しい花を咲かせる蓮の花みたいに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?