篠原に習え!!
先日午前中にふとテレビをつけたら、日本人のお名前、という番組だろうか。習志野の地名の由来になった【篠原国幹】のことについて触れていた。
習志野、の由来になるくらい、明治天皇にその勇猛さを認められた方。明治維新の大河ドラマでもたまーに出てくる。西郷や大久保の影に隠れてるようで、だが知る人ぞ知る人。あ、桐野さんの方が少し有名だけど。
かの西郷隆盛の右腕として活躍し、中央から鹿児島に下野した際は薩摩私学校の校長になったという。
また、一方で国学者でもあり、すごく頭のよい方だったときいている。クニモト、ではなくコッカンとも呼ばれていたらしい。
南州神社に行けば、西郷さんの隣にお墓がある。
私はこの方の子孫ではないものの、実は少しばかり縁がある。
そんな篠原国幹の宿命(陰占のみ)を調べてみた。
あくまでぱっとみ。万年暦で干支をみて頭で計算した印象(なので間違えていたらすみません)
年干 丙申 月干 辛丑 日干 甲寅
たとえば丙申。
若くして他郷で成功しやすいイケメン。
次に辛丑。
頭がよく、ユーモアがある。堅実
そして日干の甲寅。
堅実で安定している。積み重ねの人生。No.2で力を発揮する。人やものに恵まれる。
(※上の説明はあくまで一例です)
陽占は詳しく出してないけれども、ぱっとみ中央玉堂星(論理的に頭がよく勉強ができる)、大運初旬も龍高星(知的好奇心旺盛、体験学習型)と印星なので、やはり聡明。
十二大従星の初年期は天馳星で周りに人が集まってくる、そして中央は天南星だから前進力、行動力が強い、、、、、守護神法もまだ習ってない4年目のペーぺーでもここまでは読めるだろうか。
直情的な性惰は、甲という真っ直ぐな性格、またエネルギー溢れるところはもしかしたら子丑天中殺にもあるかもしれない。
こんな風に宿命とエピソードを合わせてみると、ちょっと想いを馳せられる。
いや、実は生年月日は実は間違っている可能性が仮にあるとしても、
先人、過去の歴史に想いを馳せるきっかけになるのなら、それはそれでよいのかもしれない。
イケメンで聡明なNo.2のこの方は何を想って生き、そして40、何を想って亡くなったのだろう。
私も四捨五入すれば40である。
彼に習ってどのように生きれば良いのだろうか
とふと思う。