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おりてきたもの
お師匠様がおっしゃる帝王学としての生き方在り方についての言及の数々、そして算命学の学理としての知識。六十干支、天中殺論、陰占陽占、相生相剋論、八門法、位相法などなど。。。。。
まだ決して学びが深いわけではないのだけれども、昨日兄弟子の方とのやりとりの中でふと気付くことがあった。いや、気付いたというより『おりてきた』。
おそらくお師匠様の言葉の奥にあるものも、こうした方がいいよ、ということも学理の習得も、あるいはお師匠様だけでなく、古の先人方が残し、今にまで引き継がれている言葉たちも。
ある『 』を色んな角度から、わかりやすく言葉にしているのに過ぎないんじゃないかと。つまり一見違うことを言っているようにみえて、本当はあることを違う言葉で言い表しているだけ。
それはつまりいわゆる、本質、真理、法則ってやつか。でもそういう言葉に変換した時点でも、それも違うんじゃないかと思えてくる。
その『 』は我々の今の通常の感覚ではわかりえないし、わかってもすぐに忘れてしまう。
お師匠様が、日々の在り方が大切、考えるな、感じよ!というのはたとえばそういうことで、
また、エネルギーを浴びにきなさい、ということもそういうことなのかもしれない。
いわゆる面授は、レイキの伝授と呼ばれるものとかとは違うとは思うけど、『 』を感覚でもって伝授するされる、パソコンでいえばダウンロードする、に近いんじゃないかと。
とはいえ、まずはやっぱり言語化された教えを学び、実践し、落とし込んでいかないことには、伝授を受ける下地ができない。
やはり最初は基本の実践と反復なのだ。
そしてそれがどれくらいかかるかはわからないけど。。。。やがて腑に落ちて、『 』のことをわかり、落とし込めたときにようやく本物に近づけるのではないか、と感じている。