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【じんたろホカホカ壁新聞】日本学術会議って何だっけ?
福井大学での査読の不正?
最近、日本学術会議に関係する二つのニュースがあった。
ひとつは福井大学の研究不正に関することだ。
「研究不正」というと、論文の盗用とか剽窃とかよからぬことを思い浮かべるが、今回のものは論文を別の人が、発表して問題がないのか評価する「査読」と呼ばれる手続きが適切だったのかというもの。
論文を書いた人が査読するポイントを査読してくれる人に渡していたのだが、それが適切なのか、不適切なのかということが問題になった。
なんのこっちゃ?
と思う人は多いと思う。
福井大学側は、文部科学省のガイドラインでは査読の方法について不正行為としての明確な記載がなく、福井大学の規定にも定められていないので、論文を書いた教授たちには不正の意識はなかったと言っている。
大学は6つの論文自体には問題がないとしているが、該当の教授は、調査に対して不適切な行為であったことを認め、「査読者は自分より経歴が上で、多忙なことも分かっていたので頼まれて断れなかった」と説明しているということだ。
ああ、このセンセ、かわいそう(・_・、)
どこの大学でもありそうな事情だと思う。
でも、6つの論文のうち2つは、学術雑誌から取り下げられているが、大学はほかの4つの論文についても取り下げを勧告したらしい。
福井大学の末信一朗副学長は「今回のような行為は研究の信頼性を大きく失墜するものとして深くお詫びします。今後は研究倫理を徹底していきたい」と話しているとか。
査読についての文部科学省の対応
これを知った文部科学省はどうしたか?
永岡桂子文部科学相は閣議後記者会見で、研究者が守るべき査読に関する対応指針を作るための審議を、日本学術会議に依頼することを明らかにした。
文科省によると、査読を巡る不正は国内で前例がないとみられる。一方、研究不正に関する国のガイドラインでは、査読不正は改ざんや捏造といった特定不正行為には該当せず、罰則もない。文科省は、査読不正の発覚がまだ1件しかないことから、現時点では研究不正のガイドラインには加えない方針とか。
しかし、「査読は科学者コミュニティーの自律性で成り立つもの」のため、研究者の代表機関である学術会議が、査読に特化した指針を作ることが適当と判断したそうだ。具体的には、日本の研究者が守るべき査読に関する規範や指針の作成、査読で起こり得る問題や課題を整理することなどを依頼する。
海外の例では、学術誌の出版規範などをまとめる国際非営利団体「出版規範委員会(COPE)」が定めた指針で査読不正は研究不正行為と見なされ、約1万4000の国際学術誌がCOPEの会員になっている。日本の研究者コミュニティーにこうした統一的な決まりはない。
「査読は科学者コミュニティーの自律性で成り立つもの」というのは会見で文科相が言った言葉。だから、研究者コミュニティーとしての学術会議に依頼するらしい。
学術会議の任命問題が復活!
もう一つが、学術会議の会員任命問題だ。
政府は12月21日に開かれた日本学術会議総会で、会員選考に対して意見を出す第三者委員会設置などを示した在り方の具体案を明らかにした。
一方、学術会議側は「存在意義の根幹に関わる」などとして、政府に再考を求める声明を発表した。
政府の具体案は、外部から推薦された会員候補者の積極登用などを明文化した。
これに対し、声明は「自律的で独立した会員選考への介入の恐れがある」と指摘。学術会議の独立性を脅かす恐れのある法制化の強行は「真に取り組むべき課題を見失った行為だ」として、再考を強く求めた。
多くの国民には、なんのこっちゃわからん?状態だろう。
また、政府がえらい先生をいじめている、とか、政府から金をもらっているくせにプライドの高いセンセはどうしもないなあ、とか思うくらいだろう。
夕刊フジもこう書いている。
「学術会議の独立性に照らしても疑義があり、存在意義の根幹に関わる」
日本学術会議の声明にはこう記されていた。
梶田隆章会長は21日、総会後の記者会見で、「70年以上の歴史を持つ学術会議の性格を変えてしまいかねない」と訴えた。
同会議については、年間約10億円もの税金が投入されながら、特定の政治勢力の影響力が強く、日本の「軍事・防衛研究」に反対し、経済成長のマイナスになってきたと指摘されている。
「学術会議の独立性」がそれほど重要なら、「廃止・民営化」した方がいいのではないか。
だよね。
って思う人もいるだろう。
2年前の任命拒否問題ってこんなこと
学術会議で会員選考を巡って、首相が拒否したとかいう問題があったけど、もう忘れかけている人も多いと思う。
いや、まったく関心のなかった人の方が多かっただろう。
菅首相(当時)は2020年10月1日、日本学術会議が推薦した会員候補105人のうち6人を除外して任命した。推薦された人を任命しなかったのは、会議が推薦する方式になった2004年度以来初めてのことだった。
問題は除外された6人には、安全保障法制や「共謀罪」法に反対を表明した学者らが含まれていた。
その6人をざっと拾うとこんな感じ。
○芦名定道(京都大教授 ・キリスト教学)は、「安全保障関連法に反対する学者の会」や、安保法制に反対する「自由と平和のための京大有志の会」の賛同者。
○宇野重規(東京大社会科学研究所教授・政治思想史)は、憲法学者らで作る「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人。特定秘密保護法について「民主主義の基盤そのものを危うくしかねない」と批判していた。
○岡田正則(早稲田大大学院法務研究科教授・行政法)は、「安全保障関連法案の廃止を求める早稲田大学有志の会」の呼び掛け人。沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設問題を巡って2018年、政府対応に抗議する声明を発表していた。
○小沢隆一(東京慈恵会医科大教授・憲法学)は、「安全保障関連法に反対する学者の会」の賛同者。安保関連法案について、2015年7月、衆院特別委員会の中央公聴会で、野党推薦の公述人として出席、廃案を求めていた。
○加藤陽子(東京大大学院人文社会系研究科教授・日本近現代史)は、「立憲デモクラシーの会」の呼び掛け人。改憲や特定秘密保護法などに反対。「内閣府公文書管理委員会」委員。現在は「国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議」の委員でもある。
○松宮孝明(立命館大大学院法務研究科教授・刑事法)は、犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」法案について、2017年6月、参院法務委員会の参考人質疑で「戦後最悪の治安立法となる」などと批判した。
そりゃ、政府は嫌がるよね。
というか、内閣府の担当者はそこまでよく調べていたというか。この問題がニュースになってから、加藤陽子教授と宇野重規教授の本がベストセラーにランキング入りしていた。この政府の担当者のピックアップは教授にとって悪かったのかよかったのか、よくわからない。名誉は汚されたけど、懐は豊かになったのでは?
安倍、菅という総理の時代は、NHKのクローズアップ現代に圧力を掛けたりとか、マスコミや知識人をかなり警戒した政策が多かった。
安保法案のときに憲法学の権威、長谷部恭男教授を参考人に呼んだがために、違憲だとかどうとか憲法論争にもなった。学生運動のSEALsが街頭で太鼓なんかを叩いてどんちゃん騒ぎになった。
あれからぐたぐたしていて、今回の改正案となった。
よその国のアカデミーはどうなっているのか?
2年前の騒動のときもきちんと調べた報道もあった。
アメリカやイギリスは政府から独立した機関だ。
イギリスなんかは王立協会という名前なのに政府は会員選考には介入しない。
およそ1600人の会員のうち、およそ70人がノーベル賞受賞者で、政府や議会などから依頼を受けたり、団体みずからが働きかけたりして、科学や技術に関する政策提言を行っている。
政府から独立しているといっても、政府からの助成金や基金からの収入もある。その他に寄付などで合わせて年間9830万ポンド=およそ135億円の収入で運営している。そのうち政府からの助成金は4710万ポンド=64億円余りで半分を占めている。
このNHKの調査は、アメリカ、イギリス、ドイツ、中国との比較だが、先進国の3カ国との違いは、日本の学術会議に比べて会員数が圧倒的に多いことと、会員選考は会員による投票であり政府から独立していること、かといって政府から莫大な補助を得ていることだろう。会員数は、日本の210人に対して、ドイツは1500人以上、イギリスは1600人以上、アメリカに至っては7000人以上もいる。
政府からの援助は日本の約10億円に対して、ドイツは同じくらいの約12億円、イギリスは約134億円、アメリカは約277億円である。
中国は社会主義の国なので当然、国の期間で政府から独立していないが、補助額は一兆円と破格!
では、どういう活動をしているのか?
欧米の学術機関は、議会に対しても、働きかけたり、依頼を受けたりするなど、関係を持ちながら提言を行っている。
日本学術会議の場合、法律の規定で「内閣総理大臣の所轄」となっていて政府機関とされていることから、国会との関係が薄い。
政治家が科学者の意見を広く聞く体制になっていないと指摘する人もいる。
そのそもアカデミーって何?
2年前の「論座」に、永野博(科学技術振興機構国際部研究主幹、日本工学アカデミー顧問)という人が書いているところによると、アカデミーとは、「科学者を代表する権威のある機関」というだ。
ではこれらのアカデミーはどのようにできたのだろうか。
面白いことに、著名なアカデミーはどれも出自は自然発生的な集まりであり、これが長い時間をかけて発展し、その間に、国王や政府から公的な認証を得て活動しやすくしてきた歴史がある。
フランス科学アカデミーは革命での断絶を乗り越えて発展してきたし、ドイツのナショナルアカデミー「レオポルディーナ」は中世ヨーロッパにおいて伝染病で荒廃した都市を救うために集まった医師の活動を神聖ローマ帝国レオポルト1世が公認したところから始まった。英国や米国でも、科学者の自発的集団を後から国家が取り上げている。
このため、どのアカデミーも組織としては政府の機関ではなく、在野の独立した組織である。だからといって政府から財政援助を受けないわけではない。どこもプロジェクトを外部から引き受け資金を獲得したり、寄付を募ったりするほか、政府からの補助を受けている。それによりアカデミーの独立性に影響があってはならないので、それぞれ腐心している。
スウェーデン工学アカデミーでは国家からの補助は8%弱であり、国家からの影響を受けないために「これ以上にするつもりはない」という考えだ。フランスでの考えは、国家からの補助については国が何かを言うことはないので独立性に全く影響を及ぼさないが、産業界から支援してもらうと色眼鏡で見られるので注意が必要ということである。政府からの補助金の占める割合はアカデミーにより異なるが、国家がアカデミーの活動を財政的に援助し、だが何も口を挟まないという点は共通している。
日本の場合、アカデミーとしての学術会議は政府によってつくられたものだ。
敗戦後、「学術体制刷新委員会」に選ばれた108人の科学者が、戦争協力への反省も踏まえて、議論した。その結果を踏まえて、国会で1948年に学術会議法が成立した。
起こりからして違う。
また、アカデミーと名乗っているのは、日本学術会議ではなく、日本学士院のほうだ。日本学術会議は内閣府の管轄、日本学士院は文部科学省の管轄になっている。
https://www.grips.ac.jp/r-center/wp-content/uploads/201016_ronza.pdf
日本の場合、日本学術会議が提言などを行い、日本学士院が栄誉を授与している。その他に日本では、日本学術振興会があり、2600億円の予算で科学研究費などの学術研究の助成、研究者の養成のための資金の支給、学術に関する国際交流の促進、学術の応用に関する研究なんかを行っている。日本学術会議とも連携している。
この問題では、日本学術会議自身が2003年に提言を出していた。
そのなかでは、諸外国に比べて、日本学術会議の権威が低いことや、政府だけでなく民間機関からの資金による活動の必要性も述べられていた。
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/18pdf/1813.pdf
政府はアカデミーについてどう考えたのか?
今回の政府の提言に至るまでにそれらのことは議論された形跡もあるが、根本的な提案にはならかったのだろう。
学術会議のあり方を検討してきた自民党のプロジェクトチーム(PT)で事務局次長を務める大野敬太郎副幹事長がこんなことを日経新聞に語っている。
「学術界も社会への貢献をめざしている。それに向けて学術会議が機能しないのであれば本質的な改革、すなわち独立も一つの選択肢になる」
「米国の機関が参考になる。学術界が政府に積極的にアクセスして、担当者が政府の課題や状況をこまめに調べる。日本でも常に研究者と接している人を政府側にリエゾン(つなぎ役)として配置するようなやり方があるのではないか」
しかし、今回も日本学術会議が会員選考を首相の任命にしたことに対して、異議を唱えている。
2年前の任命問題について、大野副幹事長はこう言っている。
「任命問題をきっかけに政府との信頼関係が揺らいでしまった。じくじたる思いがある。社会課題の解決にはアカデミアの英知が必要だ。政治家の科学リテラシーも高め一緒に前に進んでいきたい」
今回の提案で、せめて会員選考は会員の投票によるとかにしていれば少しは歩み寄れたと思う。
でもまあ、それが根本的な問題ではない。
日本のアカデミーの問題は、日本学術会議だけの問題ではなく、日本学士院、日本学術振興会とともに組織の性格や自主性をどう担保するかを整理しないといけない。それとともに政府以外の資金援助の問題を解決することが必要だろう。
そのためには、日本の国民が高等教育にもっと関心をもつことが必要だろう。国立大学法人への運営費削や私学への補助金について、年金・医療費の負担問題が優先するので、減って当たり前という雰囲気がある。それでは学術会議に税金を10億円も投入しているんだから首相の任命は当たり前だ、というふうになりやすい。
日本学術会議が独立性を維持したいなら、企業への寄付金集めにもっと力を入れるとか、自主的に活動するしかないのではないだろうか?
再び、福井大学の査読の問題を考える
福井大学の査読不正の問題に返るが、どうして査読問題を文科相がガイドラインを作らないのかを考えてほしい。
大学教授や研究者の間で、レフリー付き論文しか意味がないなどという言葉は当たり前になっている。そのレフリーは国家ではなく、ピアレビューつまり研究者仲間の間での評価なのだ。いや出版社の評価だという人がいるかもしれないが、その仕組みも同じように同分野の研究者を出版社が指名しているところもある。
まあ、研究を評価するにはその方法しかないのだろう。
国家の評価と言えば、菅元総理がやったように政府の法案や方針に反対する者を排除するくらいしか基準はないかもしれない。
アカデミーは、学問の探究、真理の追究を行うための権威ある組織だという幻想があるのかもしれない。いや、それは幻想ではなく理想だというひともいるだろうが。
そのためには、政府や国家から独立していないと人類の歴史では将来に禍根を残す。
「査読は科学者コミュニティーの自律性で成り立つもの」として文科相がそのガイドライン作りを日本学術会議に依頼したというのは、研究者の自主性を尊重したものだ。
それはそれで素晴らしい。
でも、アカデミーは社会から独立して存在するものではないし、そんなことは現実的にはお金の問題とかがあって不可能だ。
アカデミーが学問や研究の自主性を重んじているのは貴重なことだ。
それを政府が尊重するのは、「時の権力」に学問や研究が左右されないためだ。
じゃあ、どうするか?
研究者が社会に理解を求めて動くしかないんだと思う。
講演やシンポジウムをするのもいいし、大学の教員に呼びかけて全大学で取り組むのもいい。
それとともに研究の意義を社会に問いかける努力をしないといけないんじゃないだろうか。基礎研究や哲学に興味を持つ人は少ないかもしれない。
でも、その意義を述べないといけない。
それとともに資金集めを財界や企業に働きかけないといけない。
でも、センセ方がそんなしんどいことをしない。
せいぜい文句を言うのが関の山。
それが日本の現状なんでしょうね。