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この労働社会には余暇という概念がない

もし、願いが叶うなら私に余暇をください。

会社辞めたらどうするの、休日は何をするの?

何も予定がないと暇じゃない?

そんな質問ばかり投げかけてくるから皆似たような考え方してんだなってつくづく思う。社畜になるとこうも考え方が似通ってくるのか。社畜には余暇という概念がないからそれもそうか。

暇で忙しい。

余暇時間を楽しむのに忙しい。

当ブログを読んでいる人たちには余暇という考え方を認識してほしい。

私達はこの世にオギャーと生まれ落ちてから人生ゲームがスタートする。セーフポイントはありません。発生イベントはやり直しが効かないから全部一発勝負になる。幼稚園、保育所に通っている間は割とのんびりできるがそもそもほぼ赤ん坊だからまだまだ人生について考えられるほどの思考力が身についてない。

だいたい自我が出始めるのは小学生上がったぐらいから。

そこから小中高大と間髪入れずに受験競争にさらされながら進学していく。大学生活は多少ゆとりがあるかもしれないが、余暇と呼ぶには程遠い。楽しい学生生活もつかの間であっという間に就活モードに入りどんどん周りは就職していく。大学卒業と同時に会社に入って定年まで間髪入れずにまたも労働する。

これが一般的な社会のレール。

この人生には一つ大きな欠陥がある。

若くて元気なうちに余暇時間がない。

人生のピークの時期が全て労働だけで終わる。

しかも会社や学校で過ごす時間が長すぎるせいでそこにしか自分の居場所を見いだせなくなる。村八分にされたら人生終わりだと勘違いする。

余暇時間がない=自分で何も決められない。

人生における致命的な問題。

誰かに与えられるつまらない課題をこなし続けるだけで人生が終わりを迎える。そんな生活を何十年も続けた後に定年すぎて自由になりましたって言われても今更何かするような体力や気力なんてこれポッチも残ってないんだ。

よく空白期間があるとキャリアに傷がつくと言われる。

だけどさ、そもそも与えられたつまらない仕事を受動的にこなし続けるだけ、つまんない飲み会や接待をサビ残でさせられる会社員生活の方がよっぽど人生の空白期間だと思うが?

ただ単に流されながらあっという間に時間が過ぎて気づいたら浦島太郎状態になる。

救いがないんですよ。

頼みの綱、老後の年金すらもあてにできない。

余暇時間すらも犠牲にして我慢して働き続けても老後の安定が手に入らない。それってリスクまみれじゃない?

途中で仕事辞めて人生の寄り道することがそんなにリスクか?

私は人生の寄り道がしたいぞ、間髪入れずにずっと年老いるまでフルタイム労働し続ける人生なんて絶対に嫌だ。

だから会社を辞めるために働いてお金を貯めるのです。


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