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ASDの検査をしたきっかけ【ASD~自閉スペクトラム症の診断を受けて①】

私は36歳でASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けました。
ここでは、なぜ自分が発達障害かどうかを調べようとしたのか、きっかけをお話しします。

・コミュニケーションの必要性がわからない~学校での孤立

「なんか私、一人遊びばかりしているなぁ・・・」「みんなは何で自然に輪になって遊んでいるんだろう・・・」と、幼稚園児ながら自分がおかしいと悩み、頑張って他の子たちが遊んでいる輪に入ってみるのですが、「ダメ!」と言われたりして、入っていくことが難しく、結局一人で黙々と粘土遊びや字書きなどをしていました。

ただ、「さみしい」とは全く思わずに、一人で熱中して楽しく遊んでいた記憶があります。

小学校以降も、自分からクラスの子たちに話しかけても、苦笑いをされたり会話が続かないことが多く、うまくコミュニケーションが取れないと感じていました。

クラスの子たちは私に近寄って来ない、隣の席の子からは机を離される、私が授業で先生に当てられて発表すると周りがシーンとなる、などなど、どうしてなのか一生懸命考えながら学生生活を送っているうちに、私が喋るとみんなが嫌がるのかな?と思うようになってしまったのです。

そう悩みながらも、「何も悪いことはしていないし、人に迷惑をかけるような言動もしていないし、学校も無遅刻無欠席で提出物もきちんと提出していてまじめに生きているのに・・・」と、自分の中では正当化に近い気持ちになり、「それでもみんなが普通に接してくれないのだったら、私は学校では黙って一人で過ごそう」という方向に、自らしてしまったのです。

クラスの子たちに対しても、「ただおとなしく過ごす私を見て勝手に不快に思う方が悪い」と考えることで自分の心を守っていて、それがおかしいと思わずに、大学卒業まで無口でクラスで孤立して過ごしていました。

そんな私も、社会人になりたての頃は、学生時代まで悩んでいたコミュニケーションで悩む暇もないくらい、仕事にがむしゃらになっていました。

その理由を今考えると、あまり感情で行動せずにまっすぐ意見を言って、与えられた仕事をきちんとこなし、時間や期限を厳守して行動し、まじめに働いていたことが、「まだ若い」という理由で評価してもらえていたからだと思います。

しかし、4~5年位働いているうちに、今度は、「仕事に対する姿勢」や「同年代間のライフスタイルの変化」で悩むことになります。

少し悪い言い方になってしまいますが、仕事でもプライベートでも、「逃げたりさぼったりする人でも人当たりの良い人は評価されていく」という現実に直面することが増え、理不尽なことが許せない私は、歳を重ねるほどにどんどん混乱していったのです。

さらに、周りの同年代の友人たちや同僚たちが次々に家庭を持って自立していきます。

「私はただでさえ他人との共同生活だけでも疲れるのに、突然騒ぎ出す子どもの対応なんてできるわけがない」、そう思いながら彼ら彼女らの姿を見て、「同年代なのにみんなレベルの高いことをしていてすごい・・・私には絶対無理・・・」と感じるようになりました。

ここで、この年代では当たり前のことができていない私は、自分に問題があるのかな?と違和感を覚えるようになりました。

それでも、まじめに行動することが正義だと信じていたので、「うまく逃げる」「相手を立てられる」「甘え上手」が人として評価されることに当然納得がいかなかったとともに、自分は絶対にそうしない(なれない)と、30歳になるくらいまではモヤモヤしていました。

そんな変なプライドの下で自分の生き方を貫き通してきましたが、年齢が進むにつれて、自分より年代の下の子たちとも関わる機会が増えていきました。

その子たちを見ていると、うまくいっている子たちは、良くも悪くも素直でキラキラしているのです。

ここでようやく、「まじめでがむしゃらだけでは通用しない」「人間力の高い人ほど社会でうまくやっていける」という考えがわかってきたのです。

同時に、友人を作ったり仕事が充実したり恋愛をしたりゆくゆくは結婚をしたりと、ライフステージに沿って周りの人は普通に人間関係を構築していく中で、私はもうすぐ40歳になるという今も、仕事の立ち位置や待遇は新卒の後輩と同等であり、人間関係も構築できずにいるという「事実」に気付いたのです。

・興味の極端な偏り

自分が興味のない話題になった場合、気を付けていても相手にも伝わってしまうくらい表情が引きつってしまい、「興味がない」「知らない」とそのまま答えてしまったり、無言になってしまいます。

興味がないことに関しては徹底的に興味がなく、頑張っても脳みそが受け付けないのです。

よって、話を広げるために、建前でも「私それ知らなかったけど面白そうだね」とか「それってどんなものなの?」などと伝えることが難しいのです。

「会話のテンポについていけない」+「自分の世界に入りやすい」+「興味がないことは徹底的に興味がない」というASDの特性が重なることが、会話が苦手な要因なのでしょう。

いまだに困っているのは、流行りのことに興味が持てないことです。

芸能人だったりTV番組だったりはあるあるで、特に最近は、同年代の人同士であっても、アニメや漫画やゲームや人気ユーチューバーに興味がないと、話についていけない現実があります。

ちなみに私は、アニメや漫画やゲームには全く興味がなければ、人気だからと言って人気ユーチューバーにも興味がなく、どうしても受け付けられません(趣味は人それぞれなので否定はしませんが)。

ただ、そんなASDの人も、何に対しても興味がないのではなく、興味のあることはちゃんとあります。

私の場合は、ピアノのクラシック曲を聴くことが好きで、中でもベートーベンのソナタやショパンのエチュードが好きで(弾けませんが笑)、YouTubeでひたすら聴いたり、楽譜を買って眺めたりして楽しんでいます。

また、この世の中にある事実に興味があり、ちょっと残酷かもしれませんが、「アウシュビッツ刑務所の当時の様子」「家畜が食肉になるまでの流れ」「観賞用の爬虫類のエサ用に飼育しているマウスが食べられるまで」などの動画をみたりしています。

サイコパスというよりは、「不変の事実を知りたい」「食べ物に感謝」という気持ちで学んでいるという感覚です。

しかし、やはりこういうのは、一般の人たちとってはとっつきにくくつまらないことだからでしょうか、私が好きなことを語り出すと、今度は周りが黙り込んでしまって、悩むのです・・・。

・仕事に対する価値観

仕事をしていく上で「静かな場所でひたすら黙々と仕事をする」「過剰なコミュニケーションがストレス」「一般的に考えて間違っている行動をとる人は上司であっても許せない(人を立てれない)」「理不尽なことを受け流せない」という思考が、いまだに変えられないことです。

どんな単調な職業でも、一緒に働く人がいる以上、コミュニケーションや連携は必須であることはよくわかっていますし、私が尊敬してきた先輩や同僚も、テキパキ仕事をこなせるだけでなく、コミュニケーション能力が高く、連携の取り方やアドバイスや仲間へのほめ方などが上手であることを含めて「仕事ができる」ということなんだと感じています。

しかし、私の場合は、今までは納得いかなくても若さで何とかやってこれたけれど、残念ながら歳を取るほど頑固になり、わかってはいるけれど、職場でもやりとりがこじれることが増えていったのです。

・感覚過敏

これは自覚があってずっと悩んでいたのですが、ベタベタする感覚が非常に苦手で、「仕事に行くにも化粧をしない」「どれだけ手荒れしてもハンドクリームを使えない」「ヘアオイルが使えなくて髪がパサパサ」など、身だしなみを整えることに困難を覚えていました。

加えて、帽子・マフラー・手袋・アクセサリーは長時間付けていられなくて、タートルネックや髪の毛や布団などが首元に触れるのもすごく不快です。

そして、最近まで自覚がなかったのが、「家では無意識にカーテンを開けない」「くつろぐ時は夕方になっても部屋の電気を付けない」「台所の電気を付けることだけはなぜか強い拒否感がある(今は平気ですが20代の頃はトイレと浴室の電気も付けられなかった)」「職場の倉庫で物を探している時に電気を付けない(これも無意識)ことを、同僚から毎日のように指摘されていた」など、明るい場所に対する過敏さがあることです。

また、これは空間認知が低い?のか「絵が苦手で色の配色やグラデーションがわからない→化粧ができない」「洋服のコーディネートがわからずに同じ服の色違いとズボンを同じ数揃えてローテして着まわしている」「髪の毛が結べない」などの悩みもあります。



ここまでで、ASDの検査を受けるきっかけとなった、幼少期の頃からずっと感じていた違和感をお話ししました。

30代に入ってからは特に、「自分に問題があるからだ」「自分がズボラだからだ」と思っていて、直さなくてはいけないと思って必死に頑張ってきました。

しかし、どう頑張っても、人として社会人としての能力がなかなか伸びないし、それに気づくのが遅かった私は、ちょっと重い言い方になってしまいますが、30代も半ばで、この社会で生きていくことに限界を感じてしまいました。

そうして、藁をもすがる思いで、専門機関に出向くことにしたのでした。

【ASD~自閉スペクトラム症の診断を受けて②】に続く。

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