わたし的SDGs "もったいない"
この数年えすでぃーじーずえすでぃーじーずと耳にするようになって思うこと。
「わたし結構持続可能な発展に寄与してるな」(ドヤ)
わたしの彼は沖縄出身。一緒になるまで知らなかった「沖縄の人は湯船に浸からないのがふつう。湯船がない家もある。」という事実。
全然知らなかったから、一緒に住み始めてしばらくはなんてお湯を無駄にする人だろうと思った。お風呂場にいる間、体を洗ってても歯を磨いててもシャワーを出しっぱなし。寒い冬ならまだしも、夏でもそんなかんじ。
「この人はこの出しっ放しで身体の表面を流れていくだけの水をもったいないと思わないんだろうか?」
温泉地生まれで公衆浴場や旅館の大浴場を利用するのがふつうのわたしからすると、桶を使わないで身体を洗うのも信じられないし、立ちっぱなしでシャワーを浴びてあたり構わずびちゃびちゃと水を飛ばす浴び方も言語道断。彼のお風呂の入り方自体がいやでいやで仕方なかったのもある。
そうでないにしても、びちゃびちゃしないにしても、そんなにお湯を浴びたいならお湯に浸かればいいのにと思うし、加えて彼は台所に立つときも蛇口を最大に開いて流しっぱなしにすることが多いので、つねづねわたしは
「その体を洗うにも飲むにも安全な水道水は何の手間もなしに手に入るものではないのにな」
と悲しい気持ちになっていた。
わたしは海なし県育ち。
大きな川が近くにあったけど、ダムが枯れて町内放送で節水を呼びかけられることが何度もあった。
うちの田舎と違って沖縄は海に囲まれてるから水に困らないのかしら?とも思ったけど、いやいや、上下水道施設がなければ安全な水が得られないのはどこも同じだよね、と。
東南アジアやアフリカの暖いところと一緒で、カルチャーだから仕方ないんだろう。
わたしが生まれ育った、海なし、農業に適した平地なし、冬は大雪で閉ざされ、必然的に「物は大切にしないと生活が立ち行かなくなる」みたいな地域とはちがうんだ。(自虐)
自分が子どものころは、まだ経済的に余裕があったころからあんなにいつも「もったいないもったいない」と言われたのに。
って若干愚痴っぽくなってしまったけど。
わたしはお風呂に入る時はお湯を張りたい派。
前の家と違って今の家は追い焚きができるので最高!
(実は実家は昔追い焚きができなくて、一人がお風呂に入ると言ったらそれぞれの予定なんて関係なしい後に続かないといけなかった。お湯が冷めるからって、勉強してても見てるテレビがいいとこでも、兄弟でじゃんけんしていいペースで入っていかないと母親に怒られた。)
今は追い焚き機能を存分に使って、数日間は同じお湯が使える(これ、不衛生でイヤだって人はしょうがないよね)。お湯に浸かれば体があったまってシャワーの時間が短縮できるし、顔を洗うのも桶二杯分くらいで済むし、最終的には残り湯を洗濯に使えるので「風呂で使う水への罪悪感」みたいなものが軽減できる。
お風呂以外でいうと、「ご飯を残す」がとてもイヤ。
自分のお腹の調子も考えないで注文しすぎたり、冷蔵庫にあるものから消費しないで新しい(同じような)ものを買ってきたり、仕事が忙しくて家で食事ができなくて食材が腐ってしまったらすぐに捨ててしまう彼。の過注文をすこしずつ矯正し、休日は彼が買ってきて冷蔵庫に放置しているものを使い切るレシピを考える。
料理できないのに。
これもきっと子どものころの影響。
なんで実家の冷蔵庫はあんなに物が詰まってるんだろう?いつのかわからない惣菜がいっぱいあってキモい。と思ってたけど、よく考えたら母親は毎食何品おかずを用意して、偏食の子どもたちと気分屋の父親が残した物をとっておいて次の食卓に出して、あまりに人気のないものは最後自分で食べきって。そうこうしてるうちに冷蔵庫の中は"ちょい残し"が増えていったんだろうし、せっかく作ったものを食べてもらえず、その時の自分の気分に関係なく"そろそろヤバいおかず"を食べていた母親のことを思うとちょっと涙出ちゃうなーなんて気づいた時には、自分も全く同じことをするようになっていた。
弟の家庭では、若い奥さんが布巾をいやがってなんでもティッシュで拭いちゃうらしいんだけど、それももったいないなー布巾なら何回も使えるのになーと思っちゃうし。
旅行に行くにも「行った先で買えばいいじゃん、荷物になるし」ができなくて、たいてい人より大荷物。
数年前からは、仕事で水分補給をよくするから毎日何本もペットボトルや缶を捨てるのがいやになって、茶漉しのついた水筒をつかってる。
コロナで外食ができなかった時は近所の中華料理屋に家からタッパー持ってってテイクアウトさせてもらったり、なんか年々、「え、わたしにエシカルの神様ついてる?」ってくらいゴミを出す(排出する)ことに罪悪感が増してるし、今まで普通に消費してきたものももったいないと思うようになってきた。
あんまりなんでもかんでも、プラスチックは全部ダメとか産地や生産者を気にしますみたいな過激派になるつもりはないんだけど。汗
ほんとに自然に、きっと子どものころ散々もったいない精神を叩き込まれたから、歳とって物の見方が変わってその精神が出てきちゃったんだね。
でも、物がなかった時代の「もったいない」は、捨てることを良しとしないだけじゃなくて、全てのものを大切にする気持ちにつながるから、とってもいいと思ってる。
SDGsとかエシカル消費だとか横文字は、ファッションになっちゃうとブーム過ぎたら終わってしまうかもしれない。
今一度日本人は、「もったいない」の精神を見直してもいいんじゃないかなんて思ってます。
ま、なんでも他人に押し付けられた価値観は根付かないからね。
「もったいない」
これはわたしのSDGsです。
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