やっぱ毒親だったんじゃん、という話



毒親(どくおや、英: toxic parents)は、毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である。1989年にスーザン・フォワード(Susan Forward)が作った言葉である[1]。学術用語ではない。スーザン・フォワードは「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」を指す言葉として用いた。毒親に関する議論は、親の「自己愛」問題が主な共通点であり、自己愛的な親(英語版)について語られることが多い[2]。

ーWikipedia




毒親と言いましてもさまざまな種類があるようでして、うちのはネグレクトとかドメスティックなバイオレンスなどというもうパッと見でわかる"悪い親"ではありません。
いやむしろ、「毒親」の括りに入れてしまうのは忍びないほど教育熱心で子どものために自分のことは後回しにしてあれやこれやと手を焼いてくれる、思い当たる人には思い当たる"そういうタイプ"の親。

簡単にいうと、
「子どもには頭も良くて優れた人間性も備わったふつうの大人になり、有名大学に行って大手企業に勤めていい感じの年齢で結婚して幸せになってほしい」
みたいな夢を抱いて、母親としては充分すぎるくらい家事も育児もがんばって、子どもには尻は叩くが飴は与えず人格否定も辞さない強気な教育を続けた結果、極端に自己肯定感の低い大学出たけど何にも成せず40手前まで独り身でバイト生活をしているようなわたしを作り上げてしまったわけです。

毒親/アダルトチルドレン/HSP辺りのワードを使う人間に厳しい方々からすると「そんなもの努力次第」と思われるのだろうが、まぁ個人の生まれ持った性格や気質と親とのバランスもありますんで「同じ条件で育ってみてから言ってほしい」と思います。拝。


そもそもわたし自身、親には子どもの頃は色々お金をかけてもらったし同郷の友人たちと比べたらものすごく多くの経験をさせてもらって感謝をしているし、毎日の家事は欠かさず子どもの習い事の送り迎えをきょうだい3人分いくつもこなし、身なりや言葉遣いもきちんとしている母(ここで突然明かされる、件の毒親=母の事実!)は本当にすごいことをしていたと思うのです。同じことを、わたしは望まれてもできない。やりたくない。
だから毒親などと言いたいわけではないんだが、学生時代から家の教育について話すと友人に「よくそれでグレなかったね」と言われてきたし、自分が苦しくなって自己改革を試みて過去を振り返ってみると母親の影がちらつくし、参考にと調べ物をすれば自分が言われてきた言葉が「子どもを傷つける言葉」としていくつも出てくるしで、まぁ自分が受けてきた行いを感情も込みでわかりやすく表現するために便宜的に「うちの母親は毒親だった」としているわけです。気持ち的には申し訳なさとか「そこまでひどいものでもないんじゃ」とか思うわけですが、わたしの過去を誰に話しても「それはお可哀想に」みたいな反応がくるので。


で、ようやく今回の本題ですが。



先日妹と久しぶりに飲んだんです。
もうこんな時期に水も挟まないであまりに酒を飲んだのでどういう流れでその話になったのか定かではないんですが、妹がこんなことを言い出したんです。

「自分にこんなにも自信がないのはお母さんに否定され続けてきたからだ。次女であるわたしがこうなんだから、長女であるお姉ちゃんの苦しみはいかほどか。」

と。

姉、涙。


姉、自分は学校の成績一番しか許さん、得意のお習字は金賞しか認めん、進学は東京の大学しか許さん、就活も大企業を受けないなんてどうかしてる、みたいに育てられたので、あらゆる成績がわたしより劣り専門学校や私立高校進学が許された下のきょうだいは自分より甘く育てられていると思っていた。しかも妹はファッションがド派手であちこちにピアスを開けたり、わたしだったら帰省のたびに色々うるさく言われてやってられんというのにその趣味を曲げず、転職のたびに親に相談したりしている。わたしは国立大に落ちて私立大に入って以降今まで「そんな大学にはいったからだ」「そんな仕事をいつまでもしているからだ」「あなたならなんでもできるのに」と否定と"できるはずなのにやってない"(結局否定)しか言われないので、親に自分の現状を話すことをいつからかやめた。自分から話さなくても「までそんな生活してるのか」「将来は」「周りはこんなに成功しているのに」という感じなので、ここ半年余りは連絡を絶っている。
そんな状態なので、何かあるたびに母親と連絡をとっている妹は母親との関係が良好なんだと思っていたし、母親は妹にはわたしのようには言ってこないのだと思っていた。さらに、妹は昔からわたしより怒られることが多かったが、それをあまり気にしない性格なんだと思っていた。

それが、結果はご覧の通りである。

妹、マジごめん。
もうぜんぜんお母さんサイドだと思ってたよ。2人して「お姉ちゃんめんどくさい」みたいな態度の時あったし(涙)。
でも気づいてしまったんだね、彼女から受けてきた言葉がどれだけ自分の足を引っ張るものとして強く残っているかを。


言われてきたことの程度、制限されてきたことの多さは同じかはわからないけど、ある意味わたしの中では「お母さんの制限のリミッターを外す勇者」だった妹でも苦しんでいる。あれだけ色々言われながらも貫いてきたじゃん⁉︎と思うけど、どうしたって抜け出せない呪縛があるんだ。少しびっくりした。
わたしだけだと思っていたから。大人になって母親に直接話をした時に「みんな何かしら抱えている。そこから抜け出さないのはあなたの問題。」と言われ、強烈な怒り、理解されない悲しみと同時に、「そうだよな」という妙な納得もあってそれ以来親を切り捨ててでも残りの自分の幸せのために変わっていこうと決意した。でも簡単には変われなくて、常に自分が弱いからだとか強くなる練習を怠ってきたからだと自分を責めて、自分だけがこんな歳になってこんなことで躓いているんだと思っていた。妹と弟もわたしのようには思っていなさそうだから、やっぱりわたしが悪いんだ、と思っていたから。

妹もいい年齢になってきて、転職が簡単ではなくなってきて、「もっと自己肯定感が高かったら色んなことに楽にチャレンジできてたのに」と思ったらしい。自己肯定感が低くてもチャレンジすればいい。そりゃあそんなんだけど、うまくいかないと怒られてうまくいっても褒められず常に誰かと比べられて生きていると、怒られない選択をするようになって自分の「やってみたい」ができなくなるんです。やって失敗したらダメだと思うから。ネガティブな反応をすごく大きく感じてしまうから。その背景に、母親からさんざんかけられてきたネガティブな言葉が、 

そりゃあ、あるよね〜

ってかんじ。
ほんと、うちの親なかなかすごいから。
むしろ本当に悪い影響を受けていないきょうだいがいたとしたら、そっちのほうがおかしいんだよ。

という開き直り。

見事、毒親確定です👏





確定ですパチパチじゃねーんだよ、ほんと。

うれしくないよ、自分の親がそんなんだって確定して。他人に迷惑かける人じゃ絶対ないのが救いだけど、自分のこれまで40年弱の人生を考えると、けっこう本気で泣きたいよ。泣いてもしょうがないから自分でできる限りの努力をするけどさ。

本人は良かれと思って言ったりやったりすることだから、子どもとしては本当に厄介なところが"そういうタイプの親"。子どものためだと本気で思っている。それは伝わってる。
けどね、「あなたは何をやってもダメ」というメッセージを子どもに受け取らせるのは、その後のその子の人生に本当にマイナスになるからやめてほしかった。たまには「そんなところも含めて大事な子」というメッセージがほしかった。


と言ってても本当にしょうがないので、我々は散々母親の愚痴を言いながら酒をしこたま飲んで、またそれぞれの生活に戻って孤独に己と闘っていくのです。
健気でしょ。
応援したくなるでしょ。
応援しましょ、呪いと闘う自分を。
ダメなとこ含めて好きと言ってあげましょ。

そしていつか、自分の中の母親像を抹消してきちんと母親に向き合えるようになったら、わたしは絶対にあんな性格合わない人とは仲良くなれないし優しくもしてやらないんだからぁっ!!!!!




















(ということにはならないといいけど。でも一番大切なのは自分の幸せなので、どうなるかはお互いの努力次第。)

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