「エモい」はスマートフォン~個性を進化させる女子が「エモい」~

「エモい」は日本語を崩壊させるのか。

今年の流行語大賞が発表されたくらいから、そんな話が聞こえてきます。

「エモい」に限らず、「ヤバい」など女子高生・女子大生から生まれた言葉は、同じような議論を巻き起こします。

私はそうは思いません。

日本語を崩壊させる、という論調の方は「表現力の低下」を危惧して理論を展開します。
しかし、私は逆に表現力があるから、多くの意味を集約した「エモい」などの言葉が生まれるのではないかと考えます。

スマートフォンの登場により、携帯電話1台で多くのことができるようになりました。
その結果、カメラや電卓、懐中電灯などは不要になると言われて長い時間が経ちました。

では、それらは無くなったのでしょうか。

無くなっていません。それどころか、大きく進化を遂げたり、個性を主張するようになりました。
また、わざわざスマートフォンではなく、本物のカメラや電卓を使うことで持つ人自身にも「個性」を与えられるようになりました。

「エモい」や「ヤバい」はスマートフォンと同じではないでしょうか。

便利な道具は使い手がどれだけ使いこなすかによって価値が決まります。
同じように、1つの言葉で、多くのことを表現できる便利な言葉は、使い手がどれだけ使いこなすかが問われます。

同時に、「エモい」や「ヤバい」に集約された言葉たちは、わざわざ使われることで、より輝くようになります。

もう1つ、日本語を崩壊させる、という論調の方は「自分が理解できないから正しい言葉を使ってほしい」という理由も持っています。

「嬉しい」「感動した」など、正解がわかりやすい言葉は安心しますが、「エモい」とか「ヤバい」と言われても、具体的にどういう状態なのか、正解を当てることが難しくなります。

「エモい」や「ヤバい」は、共感できるかどうか。つまり、使い手のことを理解しているかどうか、振り分ける言葉でもあります。使い手を理解していなければ、正解にたどり着けないからです。

人は理解できないものを「怖い」と感じます。
恐怖を排除しようとするのは、動物の性質でもあります。
だからこそ、自分が理解できるように正しい日本語を使わせることで、恐怖を取り除こうとしているのではないでしょうか。

私は純粋に、新しい言葉を作る女子高生や女子大生がすごいと思います。
1つの事象を元々あった正解で表すのではなく、新しい正解を作り出す。
文化や文明はいつも新しい正解によって発展してきました。

正解を作り出す彼女たちが、未来の日本の正解を作り出すのではないでしょうか。

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