愛?というのは、わかりやすい異性愛のみを指すのではない。いわゆる、好きな異性によって満たされることのみを指すのではない。
親が心配するとか、先生が心配するとか、友達が心配するとかはよくある話だ。
なるほど、僕はなんとかして好きな異性の注意を引こうとする。だが、それだけでは、当然愛が足りない。
飛躍すると、さまざまな人がさまざまな立場で、
有形無形の愛を注いでいる。阿弥陀仏の慈悲とはそうしたもので、人格ではなく法なのだ。
僕は普段、好きな人の気持ちしか考えないのであるが、もっといろいろな人の気持ちが読めると、
宇宙に愛されている実感があると思う。