表現愛
哲学者の木村素衛の考えに、表現愛というものがあるそうですが、これが表現する意欲のことだとすると、僕はそれを徐々になくしつつあります。
もともと、自分を出す気力が希薄であり、人から理解されにくいたちです。そのせいでいろいろトラブルも多く、苦労して来ました。少しは自分を出すこともありますが、あまり大声で表現するわけではなく、小声です。
口で話す声も小さく、もごもご話し、何度も聞き返されることも多く、あまり自信はないです。ただ、強い不安は精神安定剤と人生経験で、多少は感じにくくなってきています。
子供の頃から独り言が多く、それを長年気にしていました。不安な時や興奮すると出るようです。
しかし、独り言というのは極端で病的じゃなければ、判断材料の一つに過ぎなくて、全人格を否定するものじゃないです。独り言をいうと、若干びっくりしたり若干気持ち悪かったりするかもしれませんが、人が見ているのはそんな表面的なことですなく、もっと別のことのようです。
人として信用できるかとか、悪事を働かないかとか、約束を守るかとか、大ウソついて人をだまして大損させないかとかそういうことです。
あまり四角四面になる必要はないが、仕事はしっかりやって、普段は普通にして素直に自己表現すれば、特に面白いことを言ったり、ものすごく気を利かせなくてもいいと思います。
肝心なのは、人格が素直で真面目ということです。