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イノシシの背中と裏山が燃えた日

私が小学校一年生だった頃だろうか。裏山が燃えた。今もあの日の光景を一部始終はっきりと蘇らせることができる。

あの日は風がとても強かった。最初は裏山から煙がくすぶってきたのが、みるみるうちに火がメラメラと燃え上がり、さらに強風を受けて、炎はあっという間に広範囲に燃え広がった。裏山のあらゆるものを轟々と音をたてて、炎が飲み込みはじめた。

近隣の住民も総出で消火活動にあたっていた。生まれて初めてみる大規模な火災。幼き目に映る、赤々と燃える巨大な炎。強風にあおられて竜のように動き回る巨大な火柱。慌てふためきながら消化活動にあたる、近隣の方々の必死の形相。あたり一面に広がる煙。

空気が熱かった。ただ事じゃないことが起こったと、私はとても恐ろしかった。

そして何より恐ろしいことに、その消火活動に私と兄弟である幼子たちを置いて、イノシシのように母が飛び出した。巨大な炎に勢いよくうってでた女が、私の母であった。イノシシはバケツリレーに加わろうと、凄まじい勢いでバケツを持って裏山に走って行った(正確に言うならば、私たち兄弟は近所の同級生の家に預けられて、私たちは終始無事であったのだが)。

消火活動に参加すると鼻息荒く宣言し、阿修羅のごとく炎に立ち向かいに行った母と、その時の張り裂けんばかりの気持ちで佇む私の光景を、今でも強烈に覚えている。泣きながら行かないでと訴えたのに、イノシシは聞く耳を持たず行ってしまった。

なぜあの時、母は私たち幼子を置いてでも消火活動に参加したのだろうか。普通の母親は、まず自分の子供を守るのが第一なのではないだろうか。子供を持った今も、その時のイノシシのような母を理解できずにいるし、猪突猛進を体現して生きてきた母らしい生き様だとも思う。

親の背中を見せるという表現があるが、猪突猛進で行動ありきの母の背中は、いつだって私には真似できない力強さを見せ、またその背中は時に反面教師でもあった。

裏山は、イノシシの奮闘も功を奏したのか、じきに消防車が何台も到着して無事に鎮火した。あとには黒焦げの焼け野原になった、変わり果てた痛々しい土地が出現したが、数年後にはやがて緑が生い茂る、元の麗らかな裏山に戻ったのであった。

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