【徹底考察】まだ見ぬ時代の最適な刺青について【未来は僕らの手の中にある】
彫り物や刺青、タトゥーといったものは、どこかおっかないイメージがある。
しかし、世の中の価値観というのは、大きな変化を遂げることが往々にしてある。
もしかすると、数十年後には、
「オマエもいい年なんだから刺青の1つでも入れたらどうだ」
なんて言われる日が来るかもしれない。
その時になって、何も考えておらず、ひどくローバイして、おかしなモノを入れてしまえば、一生笑いものである。
それを避けるためにも、今彫り物に対してどのようなイメージを持っているかに関わらず、自分にもっとも適した彫り物を考えることはヒジョーに意義深いことであるのだ。
最適な彫り物の条件とは何か
どんな彫り物を入れるか考える際に一番の問題になるのは、一度入れると(基本的には)消すことができないという点である。
例えば、女子供に媚びようと可愛いクマさんを背中にいれたとする。
女子供に背中を見せる機会などそうそうなく、
男たちからは「そりゃあないよ」と言われ、
頑張って彼女を作って見せたところ
「私の家族は熊に皆殺しにされたんだ」などと、涙混じりの告白を受け、
独りで熊を呪う深夜2時の四畳半。
などという事態になって、彫師の所に行こうものなら
「こないだ頼んだ熊、冗談だからさ、元の背中に戻しておくれよ」
「すいやせん。そりゃ無理な相談です」
となってしまうのである。
このような事態を避けるためにも、慎重に取り組まなければならない問題なのだ。ドンっ(固く握りしめた拳で机をたたく音)。
少し感情的になってしまったが、考えるポイントとして
①どんな人でもさほど嫌悪感をもたないもの
②その時々の自分の好みに左右されないもの
②あらゆる時と場合に対応できるもの(冠婚葬祭など)
であることが求められる。
いわゆる「イカツイ」ものについて
一般的なイメージとして、やはり彫り物というと、般若や龍といったイカツイものが挙げられる。
これらは確かにカッコいい。だが懸念点があまりに多すぎる。
そういったものを入れてしまうと、どうしても相手を威嚇してしまうのだ。小さい子には怖がられ、大人からは「あら、危ない人ね」と少し距離を取られてしまう気がする。
加えて、僕には人を威嚇してもあまりいいことがないので、避けた方が無難である。
また、そういうモノを入れている人は非常に情に厚いイメージがあるので、そこまで情に厚くない一般人青年男性(僕のこと)だとただのやべえ嫌われ者が出来上がってしまうだけである。
また、あまりにイカツイものを入れてしまうと、彫り物に合わせてイカツイ生活を送らなければならない。
派手な服を着て、大きなサングラスをかける。
喉が渇けば、日本酒や焼酎で潤し、
日本刀を腰に差して、ピストル片手に、黒塗りの高級車であおり運転をしなくてはならない(そんなことはないぞ)。
縁起がいいものがいいのではないか~大発見「おせちの法則」~
人に嫌悪感をもたれないためにも、縁起がいいものがいいのではないか。
我ながらにナカナカに賢く鋭い意見である。
縁起のいいものであれば、どこに行ってもありがたがられる。
たとえ、絵柄がださいなどと言われても、どのような意味が込められているか説明することで、相手をねじ伏せることができる。
これはおせち料理と同じ仕組みである。
おせち料理は、正直言ってあまりおいしくはない(もともとが保存食的な意味合いをもつので当たり前のことである)。
しかし、おせち料理の不満を言っても、
「この昆布は、よろこんぶと言って…」
などと論理も何もあったようなもんじゃないハチャメチャな説明をして、こちらの戦意を削いでくるのである。
おせち料理は、縁起がいい(それもだいぶ無理のある)という1点のみで、今日まで生き残ってきたのである。
この「おせちの法則」に従えば、自ずと妥当な結論にたどり着くのではないだろうか。
とうとうワタクシは最適な結論を導き出した!
結論から言おう、ワタクシ(これまでの議論があまりにも学術的・理知的であるのであえて僕ではなくワタクシという)が、導き出した最適な結論とは、、、、、
富士山である。
ぱちぱちぱち(ワタクシを褒めたたえる拍手)
そう富士山であるのだ。おめでとう(ワタクシから富士山に送る言葉)
理由は以下の通りである。(なんと学術的な表現であろうか)
・理由1
まず、富士山は縁起がいい。
初夢で一富士二鷹三茄子というように、昔から縁起がいいものとされているのだ。
また、縁起がいい理由として富士は、「不死」や「無事」に通じているらしい。これは「おせちの法則」に当てはまる。
・理由2
富士山は日本を代表する山である。
標高が日本一で、世界遺産でもあり、浮世絵のモチーフにもなっている。すなわち、日本人ウケ、海外ウケがかなりいい。
・理由3
富士山は山であるので、それ自体にあまり意味はない。
加えて、富士山はただの縁起物ではなく、その大きさ、芸術性、文化性を併せ持つので、メッセージ性が他の縁起物よりも曖昧になるのだ。
よって冠婚葬祭どの場面においても邪魔をしないのである。
例えば、縁起がいいからと言って、昆布の彫り物を入れてしまうと、葬式に参列した際、
「人の葬式でよろこんぶなんて不謹慎だ」
「そんなにお腹が空いているのかしら」
「故人は溺死したんだぞ」
「私は昆布アレルギーだ」
「オマエをこんぶ(こぶ)だらけにしてやろうか」
などと攻撃的な発言を受けることがあるのだ。
・理由4
刺青の最大のデメリットは、銭湯にいけなくなることである。
しかし、富士山の刺青だと銭湯に入れる可能性があるのである。
銭湯の風景を想像してみてほしい。
大浴場の後ろの壁面に富士山が描かれているはずだ。
ここからかなり高度な論理の話になるが、
銭湯=富士山(・・・①)なのであり、
刺青=富士山(・・・②)の場合
①と②より、銭湯=刺青なのである。(どういうことだ)
よって、富士山の刺青を入れた人間は、銭湯そのものとなり、入浴が可能となるのだ。
以上の理由により、刺青として最適なのは、富士山なのである。
終わりに
この度はかなりどうでもよい題材のわりに長く読みにくい文章になってしまってしましました。読んでくれた方にはお礼を申し上げます。
しかしながら、この度の議論は非常に意義深く、考える価値のあるものだと思うのです。
来るべき大刺青時代に備え、この問題から目をそらさず、日々考えていくべきだと思います。
ここまで様々な視点から、まだ見ぬ時代の最適な刺青について考えてきました。
多分の話にはなりますが、そのような時代が来ても僕は刺青は入れないと思います。
なぜならば痛そうだからです。
ここまで読んで下さったかた本当にすいませんでした。
何かの参考になれば幸いです。
曇り空しか見えない窓の側の机にて
人力ひこーき