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世界はそれを贈与と呼ぶんだぜ

ジンノといいます。先日受けた脳ドックで、血管が柔らかいと褒められました。血管が(あくまで年齢の割に)柔らかいことと、肩こりの多少には関係がないようです。

いまをときめく岸田奈美さんが読書フェスを開催するという。喜んで参加するのである。肩こり上等。

私の選択は、近内悠太著『世界は贈与でできている』。

「贈与」って陳腐な言い方で良ければ「愛」ってことでいいですよね。

愛と平和。贈与と平和。ロックの普遍テーマですよ。まさにフェスにふさわしい。

もう、読みながら真っ先に思い浮かんだのは、サンボマスターであった。声を大にして「世界はそれを贈与と呼ぶんだぜ!」って叫びたい気分である。


私の勝手な理解であるが、言葉にできないモヤモヤを言葉にするのが哲学の役割のひとつだと思っている。そして、言葉にできないモヤモヤを爆音と歌ビートに乗せて共有するのがロックである。

愛と平和を望んでいる僕らなのに、世の中は不条理で、一向に理想的な世界なんか来ないじゃないか。でも理想を求める仲間はここにいるじゃないか。愛と平和を叫ぼうぜ、贈与と平和を叫ぼうぜ!

ロックミュージシャンの言葉が時に哲学的なのは、両者にそういう共通項が存在するんじゃないかと、ふと思ったり、思わなかったり、ラジバンダリ(こういうところにオッサンが滲みでる)。

音楽以上の何かを絶叫とともに伝え続けているサンボマスターに「贈与」の言葉を重ねていた。そう思ってしまってからは本書のBGMはサンボであった。


そもそもライブってお金だけの関係ではない。その空間を互いに楽しみたいという共犯関係がある。会場や機材、スタッフの生活を考えると、お金の支払いは必要だ。だけどさ。

興奮したライブの後って、一緒にシャウトした隣のこがとってもいいヤツに見えませんか。ちっちゃいことが気にならなくなりませんか。多少のことは許せるようになっていませんか。

新しい日々の僕たちは 高鳴る予感がしてるのさ
君と僕が夢を叫ぶ 世界はそれを待っているんだぜ

贈与の経済って、コスパ以外の価値観だとか、ファンベースのような発想に根差すことでもあるんじゃないだろうか。「経済を回す」のは大事だけど、「贈与を回す」という言葉があっていい。

「贈与を回す」というのは、それは、まずは、心から「ありがとう」を言うことだろうな。感謝をこめて「ありがとう」。

すべてのことに感謝できる人は幸せだよ。



勤労感謝の日である。私がのんびりダラけているこの時間も、社会システムを成り立たせてくれている人たちがいるのである。生きているだけでありがたいのである。

ありがとうロキソニン。