いっぱいのおっぱいを酸っぱい失敗にしない為に
いいですか諸君。
神明です。
その昔「いっぱい」って10回言うてみ?と言われ、その後「い」を「お」に変えて言うてみ?
という昭和世代ならではの遊びがありました。
これ知ってる人はある一定数以上の年齢かと思われますが、諸君らは誇りをもって昭和世代である!と言い切ってよろし。
なぜならば激動の時代を生き抜いている証だからですっ!
どや。
辺境の地の中心でAIを弄ぶものとして、今日もAIが生成するおっぱいと格闘しているのでです。
すでにAI生成のセクシー女優がデビューしていて、SNSにはAI生成の美少女たちが「おはよう」と挨拶する度に数千の「いいね」がつく世界線。
今我々はここにいるのです。
いつから恋をしなくなったのかね?
いつから君たちの自家発電の対象は「クラスで人気のあの子」ではなくなったのかね?
SNSゲーの半裸のヒロインと、クラスの女の子のスカートが短すぎて偶然見えてしまったパンチラと、どっちが真に奮い立つのか世界の中心でAIに叫んでみるべきだと思うが…いかがかな。
「時は無情な程に 全てを洗い流してくれる」わけではないのだよ。
どれだけ時間が経とうが、流れ落ちない穢れというものもあるのだよ。
いいかい。
すべてにおいて勇気が必要なわけではなく、真の優しさというものが必要な時代になってきたという証でもあるのだよ。
例えば、満員電車に座っていて、目の前にちっちゃい子を連れたお母さんが立った時「どうぞ」と声をかけて席を立つか、次の駅で降りるフリをして何も言わず席を立つか。
例えば、それなりに人の乗っているエレベーターが1Fに着いた時「開」のボタン付近にいたとして、人が降りる時「開」のボタンを長押ししてあげるか、次の人がさっさと降りられるように自分が先にエレベーターから出るか。
例えば、中イキさせる自信があるからガンガン攻めの腰フリをするか、まずクリイキしてもらってから挿れるか。
世界というものは常に選択を迫られてますな。
「何も選ばない」を選ぶ時さえあるのです。
エイプリルフールで盛大にウソをつかなかった後悔を記すものとしてノーティングする次第であります。
お前を世界一愛してるのは余だぞよ。
嘘か誠か感じてみよ。
ではまた。
ふっふっふ。