数学嫌いになる前に知っておきたい事
数学の「関数」。この言葉を聞いただけで頭が痛くなるという人も多いみたいですね。頭が痛くなるのも当然です。名は体を表すと言いますが、この関数という名前は関数の本質を何も表せていないのだから、日本人はまずそこから理解に苦しんでいるのです。
関数は、1950年代以前は中国語と同じく「函数」と表記しました。函は「はこ」という意味であり、これは本質的に正確に意味を表せている名前です。
例えば自動販売機にお金を入れてボタンを押す(インプット)と飲み物が出てくる(アウトプット)。このビジュアルイメージが頭に浮かんだ時点で、関数の概念の本質は理解できたことになります。
昔の日本人は、函という文字を目にすれば「手紙を入れる箱」のイメージがすぐに頭に浮かんだはずなので、理解が早い子なら「函数」の二文字を目にした瞬間にその視覚的概念をおおむね理解できたものと思われます。
名前のイメージと本質とが一致しない場合、人間はその概念を記憶から引き出すたびに、脳の無意識領域ではいちいち名前と本質のイメージのズレを正すという無駄な作業をさせられているはずです。
英語ならfunctionです。このfunctionという言葉のビジュアルイメージは、機械が動いたり、何かが入力に伴う反応を見せる「機能」「実行」「動作」のイメージです。
ですから母国語が英語の人もやはり函数と同様、functionという名前を目にした瞬間に直観的に関数の概念が脳内でビジュアル化されるはずです。それほど名前は重要です。
「関数」という表記を使い始めた日本人はまず教科書を開いた瞬間から大きなハンディキャップを背負わされていると言えます。
ではなぜ日本では「関数」という全く直観的でない漢字表記に改められたのか。それは「函という漢字が当用漢字ではないから」らしいのです。たったそれだけで?と信じられないほど稚拙な理由です。
当用漢字には含まれないにしても、函館や函南など、日本の地名にはごく普通に使われている字であり、あえて直感的ではない「関」に変える合理的理由が見当たりません。
日本人の学力を劣化させるための陰謀だと言われた方がまだ説得力があります。「関数」表記が生まれたのが終戦直後の1950年代という点からして、その可能性も実際ゼロではありませんしね。そもそも、わずか1850字しかないこの当用漢字なるものが定められたのが、終戦の翌年の1946年です。直感的に理解しやすく優れた名称であり長年にわたって使われてきた「函数」表記を、このぽっと出てきた当用漢字に含まれないからというだけで廃止するでしょうか?
現代では「関数とはブラックボックスである」と子供に教える場合もあります。この「ブラックボックス」という言葉自体が日本人には馴染みがないので、理解するどころかますます子供は頭が混乱します。これでは数学嫌いになって当たり前です。
さらにそれに追い打ちをかけるように、教育者側が「嫌なことを我慢してやり遂げるのが学問である」という、とんでもない思い違いをしているのですから、日本人の知性が全体的に劣化してきているのも当然と言う他ありません。
このひどい有様の教育を経てなお学問の本質を見抜いて学者や研究者になる人は本当にすごいと尊敬します。
私は愚かなので見抜けませんでしたし、見事に数学嫌いになりました。中二で不登校になり、その後は独学でプログラミングで遊んでいました。当初は簡単なゲームを自分で作ったりして遊んでいましたが、少し凝ったことをしようと思うとどうしても数学や物理の知識が必要になってくる事に気が付きました。
そうして数学と実践的に触れ合ううち、三角関数などを使って美しい図形が描けたりすることに感動し、さらに理解が進むと、生物のような複雑で有機的な挙動をシミュレーションできるようになり、この経験によって数学の魅力、美しさ、実用性、神秘性を感覚的に知ることができました。
この感覚的に触れてみて知るという点がもっとも重要です。日本人が英語を話せないのも表層的な「英語の知識」しか教わっておらず、ビジュアルイメージや実践的な会話の感覚が軽視され過ぎているからに他なりません。歴史の授業もそうですね。社会人になったら歴史の授業で教わったことなんてほとんど忘れてしまう人が大半ではないでしょうか。
以前チャットカフェの構想を書いたと思いますが、その場を利用して、わずかな数式で美しい図形や有機的な振る舞いを見せるシミュレーションが作れることを体感できる、数学、いや「数楽」カフェもいいなと考えています。
好きこそ物の上手なれと言いますから、まずは好きになることが何より重要な第一歩です。江戸時代には数学は算術といい、庶民の娯楽でした。重要なので繰り返します。江戸の庶民にとって数学は娯楽でした。
ITを利用してこの感覚を現代に復活させたいと思っています。私は論理的思考力はそれほど優れているわけではないので、私よりもっと頭が良い人をも巻き込んでこの構想を実現させたいですね。