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私が神社巡りをはじめた理由④六芒星ライン

旅から帰宅後、石巻山で見た六芒星と串呂学なるものがとても気になり、寝る間も惜しんで地図とにらめっこしていました。まず最初に行ったことは、日本に点在する六芒星に関係する神社や聖地を調べ、それらを地図上で線で結ぶこと。この作業に意味があるのかどうか私自身にもわかっていませんでしたが、最初に石巻山にたどり着いたのもまさに「線で結ぶ」という作業の結果なので、直感的には意味があるような気がしていました。そうして調べて見つけた神社や聖地を、最初の三輪山〜石巻山ラインに重ねてみました。

六芒星に関係する聖地

籠神社・眞名井神社

伊勢神宮が建立されるより以前、太陽神の依代である神鏡は籠神社に一時期祀られていました。そのような場所は元伊勢と呼ばれており、元伊勢は他にも岡山県から愛知県にかけていくつか点在します。籠神社は元伊勢の中でも唯一、現在の伊勢神宮と同じように食物神(豊受大神)と太陽神がそろって祀られていた特別な社です。籠神社の神紋は三つ巴ですがもう一つ「裏神紋」という神紋を持ち、それは六芒星の中に太陽と月のシンボルが描かれたものです。

籠神社の裏神紋

籠神社の奥宮である眞名井神社に石碑があり、ここにかつては六芒星が刻まれていました。今はこの六芒星は、表神紋である三つ巴紋で隠されています。

眞名井神社の石碑
三つ巴紋で隠された下に六芒星が刻まれている

鞍馬山・大峰山

源義経を鍛えたと言われる鞍馬天狗で有名な鞍馬山。地面に埋め込まれた六芒星はパワースポットとしてよく知られています。大峰山は、役小角が開山した修験道の聖地です。天狗は修験道の行者の姿で描かれることが多く、天狗と修験道の間にはなんらかの関係があったことは間違いありません。

伊雑宮・磯部神社

伊雑宮は、伊勢神宮の南東、三重県志摩市にある神社です。伊雑宮も表神紋は花菱、裏神紋が六芒星です。この伊雑宮の向いに「神武参剣道場」という建物があり、その門のところにある石灯籠に刻まれた六芒星は今も見ることができます。伊雑宮の近くにある磯部神社にも同じ灯籠があります。また、かつては伊勢神宮の参道にも設置されていました。

この六芒星の灯籠をいつ誰が設置したかはおおよそわかっていて、過去記事で書いています。

記紀と古代の神々

さて、ここまでが昨年以前に私が調べて知り得た情報です。これらはいずれも表面的な情報であり、まだ六芒星の謎の本質に迫ることはできませんでした。本やネットでは、六芒星がユダヤ教のシンボルであるダビデの星と同じということで日ユ同祖論と結びつけて語られることも多いですが、具体的にどのように結びついているのかを説いたものは私が調べた限りではありません。

謎解きの手がかりがなかったので、それ以上の調査の進展もほとんどありませんでした。ただ眞名井神社などに実際に行ってみると心が清水で洗われるような清々しさを感じてとても気持ちが良かったので、私は調査とは無関係に各地の神社巡りをするようになりました。

その上で、私は単純に神社が好きなのではなく、古代において聖地とされその気配が残っている場所で特に清々しさや居心地の良さを感じる、ということに気が付きました。知名度が高くて人気がある神社であってもむしろ居心地が悪いと感じるところもあれば、逆に、ほとんど知られていなくても私にとっては最上の癒しの場だと感じるところもありました。

もっとも好きな神社を三つ挙げるなら眞名井神社、岐阜の白山中居神社、熊野の花窟神社です。

そして、私が清々しさを感じる場所は、かなりの確率でイザナギ・イザナミが祭神として祀られているという共通点があることにも後から気が付きました。それがなぜなのかは自分でもわかりません。上記の三社のいずれもイザナギかイザナミ、あるいはその双方が祀られています。

なんの前知識もなく旅先で見かけてふらっと参拝した神社で「ここの空気感は眞名井神社に似ているな」と思ったらやはりイザナギ・イザナミが祀られていた、という事も何度かありました。たとえば伊雑宮から歩いて10分ほどのところにある伊佐波登美命鎮座地という場所。なにも知らずにたまたま訪れたこの場所も、私にとってはどんな有名な神社よりも(なんなら伊雑宮よりも)居心地が良い空間で、30分ほどここでただボーッとその感覚に心と体を委ねていました。ここには小さな社があり、祀られていたのはやはりイザナギとイザナミでした。

その後の個人的な調査で、この伊佐波登美の「登美」とはどうやら古代出雲王家の富家に関係しているらしい事がわかりました。トミノナガスネヒコのトミです。神武東征神話では、トミノナガスネヒコは神武天皇と戦い敗れた神として登場します。このトミがつくのは古事記のみで、日本書紀ではトミが無くただの「ナガスネヒコ」という名になっています。国外向けに書かれた日本書紀では、天皇家以前の日本に別の王家が実在したことを示す手がかりになり得る情報はことごとく消されています。

私はこの点について当初、単純に「出雲と大和は渡来系の天孫族によって侵略支配されたのだ」と考えていました。そしてその支配者の子孫である天武天皇によって記紀が編纂され、日本の歴史の真実は闇に葬られたのだと…。

しかしよくよく考えてみると、日本書紀からは消されていても、ほぼ同時期に書かれた古事記には「トミ」の名が書かれています。出雲神話も、日本書紀にはなく、古事記だけにしっかりと書かれています。つまり古代の天皇は、明確な意図があって古事記と日本書紀の二書の内容を書き分けているのです。

その後千年近くもの間、古事記に秘められた本質は誰にも気付かれないまま日本書紀の陰に隠れ埋もれた書となっていました。そして江戸時代に本居宣長と賀茂真淵によって古事記は”発見”され、古事記伝としてあらたに出版されたことで再び日の目を見ることになります。出雲神話が書かれた古事記は、時が来るまでは知られてはならず、しかし失われてもいけない書でした。この記紀をめぐる一連の流れにも私は人智を超えた特別な力が働いているような気がします。

古事記と日本書紀の二書には、支配者と被支配者というだけの単純な関係ではない、はるかに深遠な古代日本の人々の思いが込められているようです。

13才くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる

アーノルド・トインビー(歴史学者)

日本神話を知ってはいても、単に知識として知っているという段階止まりで、神話や伝承から学ぶということを日本人が行わなくなってからどれくらいの年月が経っているのでしょうか。学ぶどころか日本神話自体よく知らないという人の方が多いかもしれません。私も以前はその知らなかった側の人間ですからね。

日月神示と国之常立神

まことの善は悪に似ているぞ、まことの悪は善に似ているぞ、よく見分けなならんぞ、悪の大将は光り輝いているのざぞ

日月神示 地つ巻 第17帖154

日月神示は、私が六芒星と古代史の探究をするようになってから知った書物です。図書館にたまたまあった日月神示を手に取り、読むと言うよりも本をパラパラと開いたその瞬間に「この本には極めて重要なことが書かれている」と直感しました。

日月神示の内容は、ほっとい亭にメッセージを残した天狗総裁の言葉のように、一見するとまったく意味不明です。ですが、意味はわからなくても読んでいると不思議と頭の中でなにか点と点、線と線がつながっていく感覚がありました。ちなみにその日月神示が生まれた当地、麻賀多神社の神紋もやはり六芒星(麻の葉紋様)です。

麻賀多神社の神紋、麻の葉紋様

日月神示を降ろしたとされる神、国之常立神が祀られている神社は、大峰山系の霊山である玉置山の玉置神社が筆頭に挙げられます。昔は玉置山への道と言えるような道もなく、遭難したり山賊や野生動物に襲われたりして命を落とす覚悟が必要で「呼ばれた人でなければ辿りつけない」とまで言われていた聖地の中の聖地、熊野三山の奥宮です。この玉置山のあたりには古くから狼信仰が伝えられていて、タカタケサンという名で祀られています。

玉置山から見た天狼星(シリウス)

同じく狼信仰が伝わる秩父の三峯神社も古代から関東随一の聖地として知られています。三峯神社の特徴的な鳥居は三ツ鳥居と言い、その起源は奈良の大神神社にあります。祭神はイザナギ・イザナミ。ほんの遊び心から始まった「wolf toneの聖地への旅」は、もやは私の意思とは無関係に、時代も場所も超えて複雑に絡んでいきました。

三峯神社の三ツ鳥居
狛犬は犬ではなく狼

古事記と日本書紀、そして日月神示は、文章を目で追って読むのではなく、心で感じとることが大事なのだという事に気づき始めました。するとこれまた不思議なことに、昨年あたりから、古代の真相についての朧げなイメージが次第に見えてくるようになりました。
⑤に続く。


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