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読書記録|原田実『偽書が揺るがせた日本史』
読了日:2023年4月8日
「歴史は勝者の記録」とはよく言ったもので、物語同様に、戦いに勝ったものはいくらでも歴史を創作できる。
そこに誠実さがあれば詳らかに全てを記すだろうが、中には自らの名誉のため、そして利権を手放たくないという思いを持つ人物もある。
そう考えると歴史書ですらどこまでが事実なのかは、実はあまりわからないのかもしれない。
しかし、世の中には明らかに偽書であるということがわかっている書物もある。
一度その真相を確かめられ偽書だと断定されても、後の時代の人が掘り起こして模倣することもあり、その情報に振り回される人もいて、歴史の焼き直しと言える現象が起こる。
その偽書がただの陰謀論のネタのように扱われるだけならまだいいが、『竹内文書』(オウム真理教の麻原彰晃の思想に影響を与え、終末思想ハルマゲドンを定着させた)や『シオンの議定書』(ナチスドイツのユダヤ人大量虐殺を招いた)、『田中上奏文』(米中の反日感情を煽り、東京裁判での「平和に対する罪」の根拠となった)のように歴史に大きな影響を与え、悲惨な死者を出すようなこともある。
偽書の負の力は意外と強大だ。
昨今では偽書に変わり、インターネット上でフェイクニュースやデマゴギーが氾濫しており、そういったものが削除されると「これは本当は正しいことだから語られない(否定される、削除される)んだ」などという解釈をする人も多く、正誤の判断がつきにくい環境となっている。
また、バイアスが強すぎて正誤の判断ができない人々が増殖しているように思う。
情報過多であることが更に混乱を助長しているのではないだろうか。
書物を残すことが精一杯だった過去と比べ、誰でも大衆が自由に閲覧できる場所にインスタントに文字を残せる今は、コミュニティが活発化するメリットの裏にそういったデメリットもあることを忘れてはいけない。
歴史をも変えることのできる偽書(現代では「情報操作」か)というものに振り回されることのないよう、常に情報は疑ってかかることが重要である。