喜怒哀楽

 浪人時代に、高校の同級生数人で、「EMOTION」という名前の同人誌のようなものを15巻くらい発行したことがある。内容はエッセイや小説、詩など。レベルはもちろん国語の作文に毛が生えた程度。しかし思春期の真っただ中だったこともあって、結構熱心に雑誌作りに取り組んだ覚えがある。
 誌名の「EMOTION」のいくつかある日本語訳の一つが「喜怒哀楽」という四文字熟語だということを知ったのはこの時だった。それ以来、私にとって「EMOTION」も「喜怒哀楽」もこの当時の記憶を蘇らせる特別な言葉となっている。

 しかし、50歳を過ぎるくらいまでは、「EMOTION」も「喜怒哀楽」も、私の気持ちの中では、あまり肯定的なイメージの言葉ではなかった。それは反対語のイメージがある論理的、理性的というイメージを揺らがす、厄介な感情という勝手な思い込みがあったからかもしれない。でも今ではこの言葉は人生を彩り豊かにする、大切な感情たちではないか思うようになっている。

 喜びや楽しさは、人生を明るく、前向きに、またか積極的にしてくれる活力源のようなものだと思う。そして怒りや哀しみは、それらと上手に付き合って自分を失わなわなければ、その後の人生にいろいろな知恵や他人への思いやり、思慮深さなどの精神の深みや奥行きを広げてくれる貴重なエッセンスだ。


 60歳を過ぎて、人生のエンディングを意識し始めた今、私はこの「喜怒哀楽」を今まで以上に意識して生きて、残りの人生を豊かにしたいと思う。

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