はたのつぎとし

起業して26年。60歳を過ぎて数年。サラリーマン、個人事業者、小さい会社の経営。その間…

はたのつぎとし

起業して26年。60歳を過ぎて数年。サラリーマン、個人事業者、小さい会社の経営。その間に地域やNPOなどの社会活動への参加などしてきました。大きく変わっていく社会を、不安に思うより、明るく夢想したいと思っています。ここではエッセイやフィクション、つぶやきを発信したいと思います。

最近の記事

雑談

今日、オンライン(Zoom)で知人を雑談に誘ったら、その人にとって誰かと話すにはとてもいいタイミングだったみたいで、とても感謝されてしまった。ちょっと恥ずかしかったけど、なんか良い事できたみたいで、とても嬉しく、ハッピーな気持ちになった。こちらこそありがとうという気持ちになる。 私の幼稚園頃のあだ名は「おしゃべりマシン」。上の兄弟が10歳違いでほとんど大人の中で育った私は、男の割には喋りの習得が早かったのかもしれない。というよりそうじゃないと自分の家族の中での存在が消えてし

    • 眺めのいい場所

      何か面白くないコト、気が塞がることがあると、遠くの風景が見渡せる小高い場所に行った。これは私の小学生の頃からの習性だ。そうすることで、幾ばくか気が晴れるような気がして、気持ちを柔らかくできた。 大人になって、住む場所を何回か変えたが、不思議と眺めのいい高い場所に住んだ。意図せずに選んだのかもしれない。 そこで気を塞ぐことがあると、窓に立って遠くの建物を見る。今、見えるのは都会の摩天楼。ちょっとだけ気が和む。 ただ最近、今の住まいの前に高いマンションが建った。私の気に入っ

      • 木も見て森も見て(部分最適と全体最適)

         よく「木を見て森を見ず」ということわざがあります。物事を見るときに部分(1本の木)だけを見て、たくさんの木の集合である森を見ていない。つまり部分に囚われて、全体の状況を理解できていないということです。このことわざは私にとって若い頃から気になることわざです。理由は自分の思考の傾向が、まさしく「木を見て森を見ず」だからです。しかしシステムエンジニアを志してからは、常にそうならないように自分を戒めて仕事をしてきました。そしてある時からどうせなら「木も見て森も見て」の方がよいのでは

        • デジタルネイティブな人を少しわかったような気がした。

          今日、機会があって、20歳の若きベンチャー経営者とじっくり話ができた。圧倒的な語彙力、幅広い知識に圧倒された。どうしてそれだけの知識を吸収したのかと聞くと、学生時代(高校以下)に一日百を超える数のネット記事を毎日のように読んでいたという答えが返ってきた。納得した。知識で勝負する職種の人の優劣は、読書量の多寡で決まるところがある。それがネットに移行しているのだと思った。もちろんネットの情報は玉石混交と言われるが、量が多ければ、情報の精度も高まる。

          LIFESHIFT的に自分の今までをオーバービュー。

           ベストセラーとなった「LIFESHIFT(100年時代の人生戦略)」は、いつ目を通しても、気持ちを元気にしてくれます。書いてある内容に共感できるところが多いからだと思っています。  「これからの時代、長い人生を、組織や他者に依存するのではなく、本当の自分の人生のオーナーとして、状況と自分の判断にしたがって多様な生き方をしていく、つまり主体的、自立的に生きること」というように私はこの本と自分の考えが重なるところを理解しています。  私は大学を出て、1984年から11年ほど

          LIFESHIFT的に自分の今までをオーバービュー。

          ある起業譚(6)

          この物語は、個人の起業体験を元にしたセミフィクション(半分はフィクション)です。登場人物、固有名詞は実在の人物や名称とは異なります。 ■コミュニティを知るために、地域参加する その2(1995年から1997年)  意気揚々と住民の一人として建設協議会に参加したのだが、正直がっかりさせられることの連続だった。まず30代で参加している男性は私だけだった。男性の多くはリタイヤした人たち。女性は子育てを終えた主婦が中心だった。  都心の会社に勤める住民が多いニュータウンなので3

          ある起業譚(6)

          ある起業譚(5)

          この物語は、個人の起業体験を元にしたセミフィクション(半分はフィクション)です。登場人物、固有名詞は実在の人物や名称とは異なります。 ■コミュニティを知るために、地域参加する その1(1995年8月)  インターネットを使ったサービスを考える上で、今後重要になるのは「コミュニティ」という概念ではないかという漠然と思っていた。それは、シリコンバレーではベンチャーインキュベーションに、投資家などのサポートコミュニティが大きな役割を果たしていることをいくつかの本で知っていたから

          ある起業譚(5)

          ある起業譚(4)

          この物語は、個人の起業体験を元にしたセミフィクション(半分はフィクション)です。登場人物、固有名詞は実在の人物や名称とは異なります。 ■自分の看板で初受注(1995年11月)  11月も後半になる頃、1本の電話がかかってきた。それは会社時代に付き合いのあった企画会社のマネージャーからだった。現在この会社はある社会実験の事務局を、大手の通信企業から請け負っている。アンケートの集計結果を見て、そのレポートを書くという仕事だ。フィー自体は普通だが、実験期間は1年なので長期の仕事と

          ある起業譚(4)

          ある起業譚(3)

          この物語は、個人の起業体験を元にしたセミフィクション(半分はフィクション)です。登場人物、固有名詞は実在の人物や名称とは異なります。 ■秋風  私は独立して起業するに際して、仕事用のアップルのパーソナルコンピュータとプリンター、モデムを買いそろえ、プロバイダーを契約した。PCとモデムはもちろんインターネットでメールなどを利用するため。プリンタは、コンサルの成果物を作成するためである。またPCには「クラリスワークス」を購入してインストールした。マッキントッシュ用のWordやE

          ある起業譚(3)

          ある起業譚(2)

          (この物語は、個人の起業体験を元にしたセミフィクション(半分はフィクション)です。登場人物、固有名詞は実在の人物や名称とは異なります) ■1995年8月某日(営業開始)  私はまだインターネットで食べていけるだけの準備ができてない状態で会社を辞めた。何よりも年齢が35歳で、もし会社を辞めて一からビジネスを始めるには、これが最後のチャンスになるかもしれないという焦りが強かった。可能性を感じるやりたいことが目の前にあるのに、それを諦めることが辛かった。一言で言えば将来、あの時や

          ある起業譚(2)

          ある起業譚

          (この物語は、個人の起業体験を元にしたセミフィクション(半分はフィクション)です。登場人物、固有名詞は実在の人物や名称とは異なります) ■個人事業スタートアップ 1995年7月某日  昨日、11年間勤めた会社を辞めた。会社に大きな不満があったわけではない。むしろ自分をここまで育ててくれた会社にはとても感謝している。おそらく会社を辞めて起業するという人生の選択が出来たのも、この会社にいたからだと思う。  起業の理由は、自分が興味を持ったビジネスが、今までの会社のドメイン(事業

          「ありがとう」の効用

           私が意識して「ありがとう」という言葉を使うようになったのは社会人になってからだと思う。今ではありがとうという言葉は、不思議な力を持っていると信じている。  1つは、言われた方がちょっといい気持ちになる。もう一つは、言ったこちらの気持ちがちょっと清くなった気がする。(私だけかもしれないが)  社会人になったときに、先輩が、「ありがとうと言われて、嫌な気持になる人間はいない。ただでお客さんを いい気持ちにさせられる便利な言葉だ。惜しまずに使え!」というようなことを言われたのを

          「ありがとう」の効用

          自立

           上に兄弟が多かったせいか、親から常に言われていたからか、私は小さい時から、早く自立して一人前の大人にならなくてはいけないと思って育った。まあ一人前の大人ということもよく考えれば、意味曖昧なところもあるが、私の育ったころの雰囲気では、経済的に自立した成人ということのように思う。  常々親から言われていたことは、「私たちは、大学を卒業するまでか、二十歳までかは生活の面倒をみる。でもそれ以上はみない」ということだったと思う。実際はそれほど厳しいものではなかったが、20年間そう言

          喜怒哀楽

           浪人時代に、高校の同級生数人で、「EMOTION」という名前の同人誌のようなものを15巻くらい発行したことがある。内容はエッセイや小説、詩など。レベルはもちろん国語の作文に毛が生えた程度。しかし思春期の真っただ中だったこともあって、結構熱心に雑誌作りに取り組んだ覚えがある。  誌名の「EMOTION」のいくつかある日本語訳の一つが「喜怒哀楽」という四文字熟語だということを知ったのはこの時だった。それ以来、私にとって「EMOTION」も「喜怒哀楽」もこの当時の記憶を蘇らせる特