前編 | 柄谷行人『哲学の起源』/ 紀伊國屋じんぶん大賞を読む。

こんにちは。倉津拓也と申します。
今回は2013年の第三回大賞受賞作、柄谷行人『哲学の起源』を紹介します。
この年のじんぶん大賞、第二位が小熊英二『社会を変えるには』、第三位がダニエル・エヴェレット『ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観』です。

柄谷さんは兵庫県尼崎市出身で1941年生まれです。1969年に『意識と自然』で文芸批評家としてデビューしました。「哲学の起源」は2012年、71歳のときに出版されています。柄谷さんの文章の多くは文芸誌に掲載された「文芸批評」です。代表作の「探究」シリーズは、哲学的な内容ながら「群像」に連載されていたものですし、今回も「新潮」に連載されていたものが書籍化されています。東日本大震災後の反原発デモに参加しながら書かれたそうです。
アーティストへの影響も大きく、例えば2021年に坂本龍一さんと後藤正文さんが主催するイベント「D2021」というタイトルには柄谷さんの「交換様式D」という概念が使われています。また、台湾のIT担当大臣のオードリー・タンも柄谷さんの影響を語っています。
國分功一郎さんは『哲学の起源』について、「文芸批評家としての柄谷行人の力量が遺憾なく発揮された傑作」と書いています。『哲学の起源』にはすでにギリシア哲学の専門家からの批判があります。しかし柄谷さんが「文芸批評家」として読むということは、忠実にテキストや史料を参照する読み方ではなくて、現代の問題意識に照らしてテキストの「可能性の中心」を取り出すことを意味します。

それでは『哲学の起源』の内容を見ていきましょう。ふつう、哲学の起源はアテネのソクラテスである、とされます。しかし柄谷さんによれば、哲学の起源はイオニアのピタゴラスです。また、アテネのプラトンはソクラテスの弟子だとされていますが、柄谷さんによれば、プラトンはソクラテスではなく、むしろピタゴラスを受け継いでいます。そしてソクラテスこそイオニアの自然哲学の継承者です。そしてイオニア自然哲学はその後、デモクリトスやエピクロス、そしてダーウィンやマルクスやフロイトに継承されていきます。

ここでピタゴラスが最初の哲学者とされるとき、哲学とは何を意味しているのでしょうか。哲学とは知を愛する、という意味です。ピタゴラスは、真の知は感覚を超えたものであり、感覚による知は仮象である、と考えて、真の世界と偽の世界を区別し、感覚を超えた真の知をもとめよ、と考えました。これを二重世界論といいます。

ただ、このような真の世界と偽の世界、あの世とこの世、という考え方は、アジアではありふれています。例えば輪廻転生という考え方は、真の知を手に入れることで、偽の世界であるこの世から解脱しなければならない、という考えです。

それではなぜピタゴラスの二重世界論は特別であり、これが「哲学の起源」とされるのでしょうか。そのことを理解するために、まずピタゴラスの二重世界論が生まれた経緯と、その内容を見ていきましょう。

マルクスによれば、二重世界論、または真の世界を知る者と感覚の世界にとどまる者の区別は、精神労働と肉体労働の分業に始まります。アジアの二重世界論は、祭司や神官の支配に基づいていました。しかしイオニアでは、精神労働と肉体労働の分業、つまり二重世界が成立しませんでした。なぜでしょうか。その原因が「イソノミア」です。イソノミアとは無支配という理念です。
古代ギリシア人はさまざまな土地に移民して植民市を設けました。そのうちのひとつがイオニアです。そこではギリシアの伝統が一度切断され、血縁的な繋がりや拘束から自由な個人による、新たなポリスが社会契約によって創設されました。
また、経済的な平等が実現されていました。イオニアでは移動の自由が実現されていました。財産をもたない者は奴隷になって他人に使われるのではなく、別の都市に移住しました。このような移動の自由を、柄谷さんは遊動性ともいいます。そのため、奴隷を使用した大土地所有や富の蓄積が成立しませんでした。その意味で、自由と平等が矛盾なく両立した、支配が無い状態、イソノミアが成立していました。イソノミアについて、柄谷さんは交換様式Dとも言っています。

さて、ピタゴラスの話に戻ります。イオニアから、なぜピタゴラスの二重世界論が生まれたのでしょうか。イオニアのポリスは移動してきた者で成り立っていて、いつでもさらに移動できるフロンティアがありました。しかし、植民者の移動が続くと、移動すべきフロンティアがだんだん消滅していきます。それに伴い、ポリスの内部に富の格差、支配関係が生じるようになりました。そこでピタゴラスは親友のポリュクラテスとともに、ポリスの社会改革に乗り出します。そこで目指されたのは、富の格差によって分裂した社会に、イソノミアを回復することでした。そのためにピタゴラスが選んだのがデモクラシー、多数者による支配です。多数者である貧困者階層が、国家権力を通じて少数の富裕層から収奪し、富の再分配による平等を強制するシステムです。しかしその過程で、ポリュクラテスがポリスの独裁的な支配者、僭主になってしまいました。ポリュクラテスが僭主になったのは、民衆が富の再分配を実現することができる、強い権力を望んだからです。ピタゴラスはポリュクラテスを批判し、イオニアを去ります。

ピタゴラスはその後、南イタリアのクロトンでピタゴラス教団を設立しました。ピタゴラスの哲学、二重世界論を知るには、この政治的な挫折の意味を考える必要があります。ひとつは、大衆の自由な意志に任せてはならない、ということです。それは結果的に、大衆の自由を制約し、支配する独裁制に帰結するからです。もうひとつは、指導者が肉体や感性の束縛を超えた、理性的な「哲学者」でなければならない、ということです。さもなければ、指導者は単なる独裁者になるからです。ピタゴラスはイソノミアを実現するためには、デモクラシーではなく哲学者による統治が必要である、と考えました。ピタゴラスは哲学者が統治する教団を作り、それによって社会を変えようとしたのです。

また、ピタゴラスは二重世界の論拠を、数学に求めました。イオニアではタレスらによって数学が発展しましたが、それは貨幣経済が発達していたからです。そこではすべての価値が貨幣によって測られ、数が根底的なものとなります。イオニアの数学は土地の測量や灌漑農業のための実用的なものとして発達しましたが、ピタゴラスにとって数学はもっと神秘的なものでした。ピタゴラスの座右の銘は「万物は数である」です。「ピタゴラスの定理」も有名ですが、ピタゴラスの最も知られた数学の業績は、和音を数学的に解明したことです。一弦琴を用いた実験によって、音階上の主要な音の間に、数学的な比例関係があることを発見しました。そして、音が存在するのと同じように、音と音の関係自体も存在する、と考えました。
また、天体の運動の中に隠れた、数学的な構造を見出そうとしました。ピタゴラスは太陽や月や惑星たちが天体を移動するときには、耳には聞こえない音が生じていて、その音程は軌道の長さで決まると論じました。このように感性によっては把握できなくても、数学的な認識によって、感性を超えた「天球の音楽」を知ることができると考えました。そして理性によって把握される数学的な構造こそ、真の実体であると考えました。柄谷さんによれば、このピタゴラスの二重世界論が哲学の起源です。

プラトンはソクラテスの弟子だとされていますが、その哲学の多くがピタゴラスを受け継いだものです。プラトンがイデア論、つまり感覚的実在を超える真の実在を考えたのは、数学的な認識を通してだとされます。また哲人王という概念も、ピタゴラスに由来するものでした。

後編に続きます。

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