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【予告】 國分功一郎による『民主主義を直感するために』に収録された『哲学の起源』の書評
こんにちは。じんぶんtv、倉津拓也です。今回は工事の音がうるさかったのでアフレコです。次回は2013年のきのくにやじんぶん大賞受賞作、柄谷行人『哲学の起源』を紹介する予定です。そこで今回はその予告編として、國分功一郎さんによる、『民主主義を直感するために』に収録された、『哲学の起源』の書評を紹介します。 この書評で國分さんは、「本書は古代ギリシア、しかもソクラテス以前の哲学者を論じている。柄谷氏がこれを論じたことは一度もない」と書かれています。これは、書くにはなかなか勇気のいる一文だと思います。柄谷の文章は全て把握しているよ、という自負を感じる一文です。 さて、國分さんによれば本書の特徴は、ソクラテス以前の哲学を、イオニアにあったイソノミアという政治体制の問題から論じたところにあります。イソノミアとは土地が余っていて移動が自由であるがゆえに、支配/被支配の関係が露骨に現れず、人々の自由と平等が両立している社会です。この書評で國分さんは、イソノミアは非常に限定された条件でのみ可能なのであって、目指そうと思って目指せるものではないのではないか、と疑問を呈します。 『at プラス』15号で柄谷さんと國分さんの対談が掲載されていますが、そこでも、同じ問いが発せられ、イソノミアが目指そうと思って「能動的に」目指せるものではないとすれば、僕たちにはデモクラシーしかないのではないか、と問いかけます。それに対して柄谷さんは、イソノミア、柄谷さんの用語でいうなら交換様式Dは、こちらの願望や意志によって能動的に実現できるものではないし、逆に、私たちはDの到来を阻止することもできないのだ、と答えます。これは大変「受動的な」考え方のように思えます。私達が何をしようともイソノミアは実現しないが、実現されるときには勝手に実現されてしまう、ということだからです。これは、國分さんの『ドゥルーズの哲学原理』では「非政治的ドゥルーズ」の像として論じられています。 それでは柄谷の思想は「非政治的」なものなのでしょうか。柄谷は「哲学の起源」の原稿を、2011年の東日本大震災後の反原発デモに参加しながら書いたそうです。柄谷はこれまでもデモについて書いていましたが、それは正しいものだと「説得」して起きるものではありません。しかし、デモは「到来」する、ならば、きちんとそれに応えないといけない、と話します。『暇と退屈の倫理学』を紹介した際にダニの話をしましたが、柄谷はダニのようにデモが起こる日を、そして交換様式Dを「まちかまえている」のだと思います。それでは終わります。
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後編 | 柄谷行人『哲学の起源』/ 紀伊國屋じんぶん大賞を読む。
第三回紀伊國屋じんぶん大賞受賞作、柄谷行人『哲学の起源』を紹介いたします。※前編・後編に分かれています。今回は後編のソクラテス編です。 ソクラテスの哲学とはどのようなものだったのでしょうか。このことを考えるときに、本書で特権的に扱われるのが『ソクラテスの弁明』です。ソクラテスは何も書きませんでした。ソクラテスの考えは主にプラトンが書き残したものから遡行されたものです。そしてプラトンは、ソクラテスの名において、自分の哲学を語りました。しかしソクラテスの裁判に関しては、多くの市民がいたので、プラトンが勝手に創作することは許されなかった、とされます。 それでは、なぜソクラテスはアテネの人々から危険だと思われ、死刑を宣告されたのでしょうか。それは、彼がアテネにおいて、公人として生きることの価値を否定したからです。これは前代未聞の出来事でした。アテネでは、市民は公人として国事に参加するものであり、そのことは何よりも大切なことだとされていたからです。ただ、それは公的な政治や正義に関して無関心になる、ということではありません。ソクラテスは、本当に正義のために戦うことは、「公人」としてではなく、「私人」としてでなけばならないと考えました。そのことは、公人と私人の区別や、外国人、女性、奴隷などの身分制を否定することに繋がります。つまり政治的な「二重世界」を否定することです。それはイオニアのイソノミア、無支配を受け継ぐものでした。 それではソクラテスは、社会を変えるためにどのような方法をとったのでしょうか。それは、公的な民会に行くことではなく、公私の区別のないアゴラ、つまり広場に行き、いろんな人に話しかけ、問答に巻き込むことでした。そしてその問答は、聴衆全体に語るものではなく、一人一人への問いかけでした。 ここでソクラテスが示したのは、公人や私人、男や女、アテネ市民や外国人、自由民や奴隷といった、個人の属性を超えて存在する、「この私」としての個人の「徳」でした。それは外側から知識として教えられるものではなく、個人が内側から自発的に悟るものなので、一人一人へのその度ごとの問いかけでしか伝えられないものでした。一方で、それは放っておいて自然に生じるわけではないので、教えることが不可欠だとも言えます。 柄谷さんによれば、このソクラテスの対話は、フロイトの精神分析における分析医と患者の関係に似ています。しかしソクラテスが考えていたのは個人の救済ではく、あくまでポリスの問題、政治の問題でした。公人と私人の二重世界の廃棄は、個人の属性を超えた一人一人が固有名としての「この私」を自覚することによってしかありえない、と考えたのです。もちろんこの問答法は、失敗することもある偶然的なもので、結果としてソクラテスを死刑に追いやることになります。それはcriticalな、つまり危険であり批評的なものでした。 ソクラテスは問答法において、積極的なことは何も言いませんでした。相手の提示した命題に対して反対するのではなく、その命題を肯定した上で、そこから反対の命題が引き出せることを示すだけでした。 このような問答法は、パルメニデスやゼノンといったエレア派の論法を踏襲するものでした。そしてエレア派が否定したのが、ピタゴラスの二重世界論です。 エレア派はピタゴラスの二重世界論を否定するために、間接証明という技法を用います。 ピタゴラスは物質の根底に、数学でしか把握できないような「関係」が実在すると考えました。ここから、五感によって感じることができるような感性的な世界とは異なる、理性によってしか把握できない「真の世界」という観念が生まれました。それはまた、世界を静止的に、スタティックに見るものでした。運動に見えるものは仮象、つまり仮の像にすぎず、その根本には不動の世界があると考えたのです。 エレア派が否定したのは、このように世界を静止的に見る見方でした。 例えばエレア派のゼノンによる「飛ぶ矢は飛ばない」というパラドックスがあります。矢は飛んでいますが、ある瞬間、時間の幅が完全に0の時には、矢は止まっています。つまりある瞬間の矢の速度は0になります。そして、どの瞬間でもその時点では矢が止まっているなら、矢は止まっていて動かない、というパラドックスです。しかし現実には、矢は飛びます。ここからゼノンは「運動は存在しない」という命題を肯定すると矛盾が生じることを示すことで、「運動は存在する」ということを間接的に示しました。 このような物質と運動は切り離せない、という考え方はイオニア自然哲学の最も重要な点です。柄谷によれば、現代の量子力学は物質と運動が切り離せないというイオニア自然哲学の考えを継承しています。量子は粒子という物質であると同時に、波動という運動の性質を同時に持つからです。 プラトンは、ピタゴラスの考え方を受け継ぎ、運動する物質という考え方を否定しました。そして、魂が運動の原因であり、物質を支配する、という二重世界論を構築しました。そしてプラトンは、それをソクラテスの名において行ったのでした。 さて、エレア派が示したのは、「矢が飛ばない世界」、ピタゴラスが考えるような静止的な「真の世界」の否定です。これは仮象ですが、重要なのは、理性がもたらす仮象である、ということです。世界は神によって作られた、というような感覚的・空想的な仮象は理性によって退けることができます。しかしエレア派は、理性そのものがもたらす仮象がある、と考えました。それが「真の世界」です。それは理性によって訂正することができず、相反する命題が矛盾することを示すことによって「批判」することしかできません。 エレア派の間接証明について、柄谷さんはカントと比較して考察します。カントは「物自体」と「現象」と「仮象」を区別しました。私たちは「物自体」は認識することができず、認識できるのは主観によって構成された「現象」である、とされます。現象とは科学的な認識のことであり、この点で迷信や神話のような仮象と区別されます。通常、仮象は理性によって取り除くことができるのですが、仮象のなかには理性によって取り除けない、理性によって構成されるものがあり、それを「超越論的仮象」といいます。 カントの「現象」と「物自体」について、これは感覚的な仮象の世界と理性的な真の世界という対立だと誤解されます。しかし、カントが批判したのは、理性によって生み出される「真の世界」という超越論的仮象でした。しかしそのことが理解されず、「物自体」とは「真の世界」である、と理解されてしまいます。カントによれば、それは「物自体」を積極的に示してしまったために生じた誤解であり、物自体と現象を区別しないと矛盾が生じるということを示すことで、物自体があることを最初に間接的に証明すればよかった、と語っています。 ソクラテスの問答法についても同じことがいえます。ソクラテスはあなたがあなたであること、「徳」について、積極的に教えるのではなく、問答の失敗によって間接的に示した、ということになります。 それでは、なにがソクラテスをそのような行動に駆り立てたのでしょうか。それはダイモン、つまり精霊の声でした。ダイモンはソクラテスが公人として活動することを否定し、私人として活動するように命令しました。『ソクラテスの弁明』から引用します。 「これはわたしには、子供の時から始まったもので、一種の声としてあらわれるのでして、それがあらわれる時は、いつでも、わたしが何かをしようとしている時に、それをわたしにさし止めるのでして、何かをなせとすすめることは、どんな場合にもないのです。そしてまさにこのものが、わたしに対して、国家社会(ポリス)のことをするのに、反対しているわけなのです。」 なぜこのようなダイモンの声が到来するのか、ソクラテスにはわかりませんでした。しかし、ソクラテスは、その声に従うことを選びました。柄谷さんによれば、これはフロイトのいう「抑圧されたものの回帰」であり、そこで抑圧されたものこそ、イオニアにあったイソノミア、あるいは交換様式Dです。 以上で『哲学の起源』の内容の紹介を終わります。これ以前に柄谷さんがソクラテス以前の哲学者に言及した著作として『探究Ⅱ』があります。ここで柄谷さんはオルテガの『哲学の起源』を参照しつつ、「思想家」と「預言者」の類似性について論じています。より実証的な「哲学の起源」については、柄谷さんの批判者でもある納富信留の「始まりを問う哲学史」をネットで読むことができます。また、ゲンロンカフェで私と批評家の仲山ひふみさんが対談したときの「2014年の柄谷行人、あるいは回帰する「政治と文学」」という動画をニコニコ動画で見ることができます。ここで私は主に柄谷さんとデモについて話しました。また、いまや若手を代表する批評家であるひふみさんの柄谷行人論がたっぷり聞ける、とても貴重な内容ではないかと思います。ついでに、ゲンロンカフェを運営されている東浩紀さんは『存在論的、郵便的』というデリダ論で、プラトンが後ろに立ち、その指示のもとでソクラテスがペンを握っている絵が書かれた葉書を参照します。ここでデリダは、ソクラテスをイロニーへと駆り立てたダイモンの声を、幽霊の声として解釈しています。ここでは哲学の起源とは誤配であることが論じられていますが、まさにそのようなタイトルの書籍が『哲学の誤配』です。
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前編 | 柄谷行人『哲学の起源』/ 紀伊國屋じんぶん大賞を読む。
こんにちは。倉津拓也と申します。 今回は2013年の第三回大賞受賞作、柄谷行人『哲学の起源』を紹介します。 この年のじんぶん大賞、第二位が小熊英二『社会を変えるには』、第三位がダニエル・エヴェレット『ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観』です。 柄谷さんは兵庫県尼崎市出身で1941年生まれです。1969年に『意識と自然』で文芸批評家としてデビューしました。「哲学の起源」は2012年、71歳のときに出版されています。柄谷さんの文章の多くは文芸誌に掲載された「文芸批評」です。代表作の「探究」シリーズは、哲学的な内容ながら「群像」に連載されていたものですし、今回も「新潮」に連載されていたものが書籍化されています。東日本大震災後の反原発デモに参加しながら書かれたそうです。 アーティストへの影響も大きく、例えば2021年に坂本龍一さんと後藤正文さんが主催するイベント「D2021」というタイトルには柄谷さんの「交換様式D」という概念が使われています。また、台湾のIT担当大臣のオードリー・タンも柄谷さんの影響を語っています。 國分功一郎さんは『哲学の起源』について、「文芸批評家としての柄谷行人の力量が遺憾なく発揮された傑作」と書いています。『哲学の起源』にはすでにギリシア哲学の専門家からの批判があります。しかし柄谷さんが「文芸批評家」として読むということは、忠実にテキストや史料を参照する読み方ではなくて、現代の問題意識に照らしてテキストの「可能性の中心」を取り出すことを意味します。 それでは『哲学の起源』の内容を見ていきましょう。ふつう、哲学の起源はアテネのソクラテスである、とされます。しかし柄谷さんによれば、哲学の起源はイオニアのピタゴラスです。また、アテネのプラトンはソクラテスの弟子だとされていますが、柄谷さんによれば、プラトンはソクラテスではなく、むしろピタゴラスを受け継いでいます。そしてソクラテスこそイオニアの自然哲学の継承者です。そしてイオニア自然哲学はその後、デモクリトスやエピクロス、そしてダーウィンやマルクスやフロイトに継承されていきます。 ここでピタゴラスが最初の哲学者とされるとき、哲学とは何を意味しているのでしょうか。哲学とは知を愛する、という意味です。ピタゴラスは、真の知は感覚を超えたものであり、感覚による知は仮象である、と考えて、真の世界と偽の世界を区別し、感覚を超えた真の知をもとめよ、と考えました。これを二重世界論といいます。 ただ、このような真の世界と偽の世界、あの世とこの世、という考え方は、アジアではありふれています。例えば輪廻転生という考え方は、真の知を手に入れることで、偽の世界であるこの世から解脱しなければならない、という考えです。 それではなぜピタゴラスの二重世界論は特別であり、これが「哲学の起源」とされるのでしょうか。そのことを理解するために、まずピタゴラスの二重世界論が生まれた経緯と、その内容を見ていきましょう。 マルクスによれば、二重世界論、または真の世界を知る者と感覚の世界にとどまる者の区別は、精神労働と肉体労働の分業に始まります。アジアの二重世界論は、祭司や神官の支配に基づいていました。しかしイオニアでは、精神労働と肉体労働の分業、つまり二重世界が成立しませんでした。なぜでしょうか。その原因が「イソノミア」です。イソノミアとは無支配という理念です。 古代ギリシア人はさまざまな土地に移民して植民市を設けました。そのうちのひとつがイオニアです。そこではギリシアの伝統が一度切断され、血縁的な繋がりや拘束から自由な個人による、新たなポリスが社会契約によって創設されました。 また、経済的な平等が実現されていました。イオニアでは移動の自由が実現されていました。財産をもたない者は奴隷になって他人に使われるのではなく、別の都市に移住しました。このような移動の自由を、柄谷さんは遊動性ともいいます。そのため、奴隷を使用した大土地所有や富の蓄積が成立しませんでした。その意味で、自由と平等が矛盾なく両立した、支配が無い状態、イソノミアが成立していました。イソノミアについて、柄谷さんは交換様式Dとも言っています。 さて、ピタゴラスの話に戻ります。イオニアから、なぜピタゴラスの二重世界論が生まれたのでしょうか。イオニアのポリスは移動してきた者で成り立っていて、いつでもさらに移動できるフロンティアがありました。しかし、植民者の移動が続くと、移動すべきフロンティアがだんだん消滅していきます。それに伴い、ポリスの内部に富の格差、支配関係が生じるようになりました。そこでピタゴラスは親友のポリュクラテスとともに、ポリスの社会改革に乗り出します。そこで目指されたのは、富の格差によって分裂した社会に、イソノミアを回復することでした。そのためにピタゴラスが選んだのがデモクラシー、多数者による支配です。多数者である貧困者階層が、国家権力を通じて少数の富裕層から収奪し、富の再分配による平等を強制するシステムです。しかしその過程で、ポリュクラテスがポリスの独裁的な支配者、僭主になってしまいました。ポリュクラテスが僭主になったのは、民衆が富の再分配を実現することができる、強い権力を望んだからです。ピタゴラスはポリュクラテスを批判し、イオニアを去ります。 ピタゴラスはその後、南イタリアのクロトンでピタゴラス教団を設立しました。ピタゴラスの哲学、二重世界論を知るには、この政治的な挫折の意味を考える必要があります。ひとつは、大衆の自由な意志に任せてはならない、ということです。それは結果的に、大衆の自由を制約し、支配する独裁制に帰結するからです。もうひとつは、指導者が肉体や感性の束縛を超えた、理性的な「哲学者」でなければならない、ということです。さもなければ、指導者は単なる独裁者になるからです。ピタゴラスはイソノミアを実現するためには、デモクラシーではなく哲学者による統治が必要である、と考えました。ピタゴラスは哲学者が統治する教団を作り、それによって社会を変えようとしたのです。 また、ピタゴラスは二重世界の論拠を、数学に求めました。イオニアではタレスらによって数学が発展しましたが、それは貨幣経済が発達していたからです。そこではすべての価値が貨幣によって測られ、数が根底的なものとなります。イオニアの数学は土地の測量や灌漑農業のための実用的なものとして発達しましたが、ピタゴラスにとって数学はもっと神秘的なものでした。ピタゴラスの座右の銘は「万物は数である」です。「ピタゴラスの定理」も有名ですが、ピタゴラスの最も知られた数学の業績は、和音を数学的に解明したことです。一弦琴を用いた実験によって、音階上の主要な音の間に、数学的な比例関係があることを発見しました。そして、音が存在するのと同じように、音と音の関係自体も存在する、と考えました。 また、天体の運動の中に隠れた、数学的な構造を見出そうとしました。ピタゴラスは太陽や月や惑星たちが天体を移動するときには、耳には聞こえない音が生じていて、その音程は軌道の長さで決まると論じました。このように感性によっては把握できなくても、数学的な認識によって、感性を超えた「天球の音楽」を知ることができると考えました。そして理性によって把握される数学的な構造こそ、真の実体であると考えました。柄谷さんによれば、このピタゴラスの二重世界論が哲学の起源です。 プラトンはソクラテスの弟子だとされていますが、その哲学の多くがピタゴラスを受け継いだものです。プラトンがイデア論、つまり感覚的実在を超える真の実在を考えたのは、数学的な認識を通してだとされます。また哲人王という概念も、ピタゴラスに由来するものでした。 後編に続きます。
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國分 功一郎『暇と退屈の倫理学』/ 紀伊國屋じんぶん大賞を読む。
今回は第二回紀伊國屋じんぶん大賞受賞作、國分 功一郎『暇と退屈の倫理学』 を紹介いたします。 『暇と退屈の倫理学』の最重要概念、「環世界移動能力」を中心に置いた解説を試みました。読んだことがない方も、読んだことがある方もぜひ。 ■紀伊國屋じんぶん大賞2011 國分 功一郎『暇と退屈の倫理学』 https://www.kinokuniya.co.jp/c/201201... ~ 今回紹介した本(一部) ~ ●『暇と退屈の倫理学』 https://amzn.to/2BMnN3A ●『アベセデール』 https://amzn.to/2Dqtbd2 ●『僕らの社会主義』 https://amzn.to/3219H8Y ●『ゲンロン7』 https://amzn.to/3ecS34O じんぶんTV 紀伊國屋じんぶん大賞を読む。とは------ 紀伊國屋じんぶん大賞というのは紀伊國屋書店が主催する、 読者の投票によって選ばれる人文書の賞のことです。 ここでいう人文書とは、哲学・思想/心理/宗教/歴史/社会/ 教育/批評・評論に関する書籍です。2011年に始まりました。 2010年代の人文書を振り返り、2020年代の人文知について考えるために 紀伊國屋じんぶん大賞をぜんぶ読む、という動画をはじめました。 以下、動画の文字起こしです。 ---------------- こんにちは。倉津拓也と申します。紀伊國屋じんぶん大賞を読む、という番組をやってます。今回は2012年の第二回大賞受賞作、國分功一郎『暇と退屈の倫理学』です。「ひまりん」という略称があります。 ちなみにこの年のじんぶん大賞、第二位は開沼博『「フクシマ」論―原子力ムラはなぜ生まれたのか』、第三位は東浩紀『一般意志2.0 ルソ-、フロイト、グ-グル』です。 國分功一郎さんは1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授で、スピノザとドゥルーズの研究者です。2018年には『中動態の世界―意志と責任の考古学』で二度目のじんぶん大賞を受賞してます。また、NHKの「100分で名著」という番組で、スピノザの『エチカ』を解説しています。住民運動にも積極的に関わっていて、その経緯を書いた『来るべき民主主義――小平市都道3・2・8号線と近代政治哲学の諸問題』という著作があります。また近刊として、「シリーズ・戦後思想のエッセンス」の『柄谷行人』の巻を担当される予定です。 それでは「ひまりん」の内容に入りましょう。あとがきで高校生だったころの國分さんが「俺はいま自分のフィロソフィーをつくっているところだ」と話すシーンが描かれます。そしてこの「ひまりん」が、「自分のフィロソフィー」、すなわち哲学であるとされます。 それではそもそも、哲学とは何でしょうか。さまざまな定義がありますが、ドゥルーズによれば哲学とは概念の創造です。そして概念の創造は、過去の哲学者の問いを批判することによってのみ可能である、とされます。「ひまりん」ではハイデガーが批判されます。それではハイデガーを批判することによって創造された新しい概念とは何か。それが「環世界移動能力」という概念です。 それではこの概念がどのように創造されたかを読んでいきましょう。 「環世界」とは生物学者のユクスキュルの概念です。私たちは自分たちを含めた、動物や昆虫や植物といった生き物が、同じ一つの大きな「世界」を共有して生きていると考えています。そしてその世界は同じ時間が流れ、同じ空間が広がっていると考えられています。このような考え方をユクスキュルは批判しました。世界は存在しません。マルクス・ガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか」というベストセラーがありますが、どんな生物もそんなひとつの「世界」を生きているわけではありません。 ユクスキュルは例としてダニの狩りの様子を描きます。ダニは血を吸うために、酪酸(らくさん)のにおい、摂氏37度の温度、体毛の少ない皮膚という3つのシグナルに沿って行動します。つまりダニは、この3つのシグナルだけで作られた世界を生きています。他のにおいや音、光や雨や風は、ダニにとっては存在しません。このように、それぞれの生物が経験している、具体的な世界のことを「環世界」といいます。 ハイデガーはこの「環世界」という概念を人間に適用することを批判します。例えばミツバチは餌というシグナルによって、「とりさらわれている」と言います。「とりさらわれる」とは、何らかの衝動によって駆り立てられるということです。ハイデガーによれば、「とりさらわれる」ことはシグナルに「とらわれ」た存在であることを意味します。そして人間だけが、動物と違いシグナルに「とらわれる」ことなく、この世界をありのままに、この世界を世界そのものとして、物を物自体として認識できる、というわけです。 ハイデガーには大変有名な3つの命題があります。 (1)人間は世界を作る (2)動物は世界が貧しい (3)石には世界がない この図式でいえば、人間は、人間だけは世界そのものと関わることができますが、ダニはダニなりの貧しい仕方でしか世界と関われない、ということになります。そしてハイデガーは、人間だけがシグナルに「とらわれる」ことなく、世界そのものと関わることができる自由をもつ。そして自由であるがゆえに退屈するのだ、と論じました。 「ひまりん」ではハイデガーによる、このような人間中心主義的な哲学が批判されます。結局のところ、ひとつの「世界」は存在せず、人間は人間の、ダニはダニの、それぞれの「環世界」を生きているだけだというわけです。 しかし、それでは人間も動物も「環世界」を生きている、変わらない、何も。ということになるのでしょうか。そこで人間と動物の差異について考えるために、「ひまりん」で新しく創造される概念が「環世界移動能力」です。動物がなんらかの衝動に「とりさらわれる」ことがあるからといって、ハイデガーのいうように、シグナルのなかだけでしか行動できない「とらわれ」の状態にあるとはいえません。ユクスキュルは盲導犬の例を挙げ、犬は訓練によって人間の環世界へ近づくことができる、とします。ただ、人間は他の動物と比べ、勉強することなどを通して、比較にならないほど様々な環世界を移動することができます。他の動物と比べて、極めて高い環世界移動能力をもっているのが人間であるということになります。 さて、この概念がどう退屈と関係するのでしょうか。 「ひまりん」によれば、人間が退屈するのは、動物と違って、すぐに別の環世界に移動してしまい、ひとつの環世界にゆっくりとひたり続ける能力を持たないからだ、とされます。逆にいえば、動物は、人間と比べて、一つの環世界にひたり続けることができる、とても高い能力をもつ、ということができます。ゆっくりとひたっていることができるような環世界を生きるとき、言い換えれば動物になるとき、人間は退屈していないことになります。 ここから退屈をどう生きるか、「ひまりん」の内容から導き出される結論として、2つ挙げられています。 1つ目は、ふらふらと環世界を移動してしまう、退屈な人間の生を、それでも楽しむことです。これは「贅沢を取り戻すこと」と表現されます。 ボードリヤールは浪費と消費という概念を区別しました。「ひまりん」では、贅沢とは「浪費」することである、とされます。浪費とは必要の限界を超えて物を受け取ることであり、浪費こそが豊かさの条件である、とされます。 そのような「浪費」に対して、近代では「消費」が始まりました。消費とは記号や観念を受け取ることです。浪費は物なので、どこかで物理的な限界に到達し、満足を迎えますが、消費は記号なので物理的な限界がなく、満足を迎えません。このような消費社会を見事に描いた映画として、デヴィット・フィンチャー監督の『ファイト・クラブ』が紹介されます。 消費社会が提供するような、記号的、観念的な「贅沢」とは違う仕方での贅沢について、社会主義者のウィリアム・モリスの思想をもとに答えた文章は、「ひまりん」でもっとも有名な文章です。引用します。 「人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られねばならない。」(28p.) モリスはアーツ・アンド・クラフツ運動という活動をはじめました。社会主義革命、または共産主義革命が達成されることで、物質的にも時間的も豊かな社会が達成されます。そんな革命後の社会をどのように生きるべきか。モリスは、そのときに大切なのは、その生活をどうやって飾るかだ、と答えました。暇な時間のなかで、自分の生活を芸術的に飾ることができる社会、芸術作品を味わうことの訓練が、生活のなかで日常的に行われている社会、それこそがモリスの考える「ゆたかな社会」です。 人の生活がバラで飾られるようになれば、つまり贅沢を取り戻すことができれば、それは社会変革にも繋がる、とされます。 2つ目は、退屈な人間の生を楽しむことによって、人間の生からはずれて、「動物になること」を待ち構えることができるようになる、ということです。 パスカルは人間は考える葦である、と言いましたが、ドゥルーズは、人間はめったに考えたりしない、と言いました。 それでは人間はどういうときに考えるのでしょうか。ドゥルーズによれば、それは外側からショックを受けて考えるのだとされます。それは「不法侵入」とも呼ばれています。 そして「ひまりん」では、不法侵入によって考えるとき、人間はとりさらわれている、つまり「動物になること」が起きているのだ、とされます。 このことが第一の結論と繋がっていきます。贅沢を取り戻し、バラで飾られた生活を送ることによって、思考を強制する「不法侵入」を受け取ることができるようになるのだ、とされます。 ドゥルーズは映画や絵画が好きでした。『アベセデール』というドゥルーズのインタビューを集めた映像集で、「なぜあなたは美術館や映画館に行ったりするのか?」と聞かれ、ドゥルーズは「私は待ち構えているのだ」と答えています。またドゥルーズは、「あなたにとって動物とは何か」と聞かれたなら、それは「待ち構える存在だ」と答えるだろう、と述べています。自分がとりさらわれる瞬間を、動物になることが発生する瞬間を、映画館の暗闇のなかでダニのように待ち構えているわけです。 退屈な人間の生をバラで飾りながら、自分が何にとりさらわれやすいのかを楽しみながら学び、「動物になること」を待ち構えて生きよ。それが「ひまりん」の結論です。 國分功一郎さんには山崎亮さんとの『僕らの社会主義』という対談集があります。この対談では二人の考える社会主義について、読みやすいかたちで論じられています。例えば「贅沢を取り戻す」といっても、結局それは金持ち向けの、エコでロハスでエスディージーズな社会主義なのでは?という疑問や、建築がモダンのキーワードだとすれば、ポストモダンのキーワードは土木なのではないか、という話など、大変面白い議論が展開されています。 また、今後千葉雅也さん、東浩紀さんの書籍を紹介する予定ですが、『ゲンロン7』のていだんでは、國分さん、千葉さん、東さんの立場がそれぞれ接続、切断、誤配と整理されていて、たいへん読みやすいです。 それでは終わります。 ----------------
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佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』/ 紀伊國屋じんぶん大賞を読む。
今回は第一回紀伊國屋じんぶん大賞受賞作、佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』 を紹介いたします。 2010年代の人文書を振り返り、2020年代の人文知について考えるために 紀伊國屋じんぶん大賞をぜんぶ読む、という動画をはじめました。 ■紀伊國屋じんぶん大賞2010 https://www.kinokuniya.co.jp/c/201101... 〜 今回紹介した本 〜 ●『切りとれ、あの祈る手を』 https://amzn.to/3c6mysX ●『ゲンロン4 現代日本の批評III』 https://amzn.to/2zWf2Ct ●『夜戦と永遠』(上・下) https://amzn.to/2SH7yKm https://amzn.to/2SDwhzg 以下、動画の文字起こしです。 ---------------- こんにちは。倉津拓也と申します。本屋で働いたり、人文系のイベントを企画したりしています。このたび、紀伊國屋じんぶん大賞を読む、という番組をはじめました。2010年代の人文書を振り返ってみようと思ったときに、紀伊國屋じんぶん大賞というのがひとつの手がかりになるかな、と思ったからです。 紀伊國屋じんぶん大賞というのは紀伊國屋書店が主催する、読者の投票によって選ばれる人文書の賞のことです。ここでいう人文書とは、哲学・思想/心理/宗教/歴史/社会/教育/批評・評論に関する書籍です。2011年に始まりました。これが始まったころ、ちょうど私も紀伊國屋書店で働いていました。 毎年、その年のベスト30が紹介されるのですが、ここでそれぞれの年の大賞を紹介してみましょう。 第1回(2011) 佐々木中『切りとれ、あの祈る手を 〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』 第2回(2012) 國分功一郎『暇と退屈の倫理学』 第3回(2013) 柄谷行人『哲学の起源』 第4回(2014) 千葉雅也『動きすぎてはいけない-ジル・ドゥル-ズと生成変化の哲学』 第5回(2015) 東浩紀『弱いつながり』 第6回(2016) 岸政彦『断片的なものの社会学』 第7回(2017) 加藤陽子『戦争まで』 第8回(2018) 國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』 第9回(2019) 木庭顕『誰のために法は生まれた』 第10回(2020) とうはた開人『居るのはつらいよ――ケアとセラピーについての覚書』 この並びをみると、それぞれの年の雰囲気を反映した人文書が受賞していると感じます。 10年代の人文書を振り返る、という意味で、似たような企画として、東浩紀さんが編集されている雑誌のゲンロンで連載されていた現代日本の批評、という特集があります。ご関心がある方はそちらも読まれてみてはと思います。 さて、今回は第一回紀伊國屋じんぶん大賞受賞作、佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』 を紹介いたします。 佐々木中さんは1973年生まれ。哲学者であり、作家でもあります。亡くなられた古井よしきちさんと親交があり、追悼文を文藝に載せています。これも切なくていい文章でした。最近小説を書いていないのは「依頼が来なくなってしまったからである」と書かれています。デビュー作は『夜戦と永遠』という、はくし論文を書籍化したもので、『切りとれ、あの祈る手を』が2作目となります。切りとれの切という字と手という字からとって、切手本という略称があります。 帯文で保坂和志、いとうせいこう、宇多丸が推薦コメントを寄せていますが、作家やミュージシャンから広く支持を受けたことが話題になりました。他にも、例えば法哲学では、中山竜一さんがルジャンドルについての入門書として挙げたことがあります。 また、若い世代に大きな影響を与えたことで知られています。2015年に安保法制に反対するデモで話題になったシールズ、自由と民主主義のための学生緊急行動という大学生を中心とした政治団体は、この本なしには成立しなかったと言われています。 女優の吉岡里帆さんなんかにも読まれています。紀伊國屋じんぶん大賞を受賞した書籍全般に言えることですが、どれも広く読者に開かれた書籍だといえます。 東浩紀さんがゲンロンの座談会でこの本のことを「ヘルダーリンもヘーゲルもシェリングもクライストもノヴァーリスもハイネもニーチェもリルケもツェランも」という感じで言及されてますが、これに習って圧縮して言えば「ニーチェもルターもムハンマドもフロイトもウルフもベケットもルジャンドルも」という感じの本だと思います。それではさっそく、この本の内容に入っていきましょう。 題名の「切りとれ、あの祈る手を」はツェランの『光輝強迫』という詩から取られています。ここで全文を朗読してみましょう。 切りとれ あの祈る手を 空中 から 目の 鋏で、 その指先を詰めよ お前の接吻で 折り畳まれたものが 今 息を呑ませる有り様で生じる。 「折りたたまれたもの」というのは本、書物のことです。 大変美しい詩ですし、この本全体のメッセージを考える上でも重要な文章です。この詩を参照しながら、本書の内容を解説してみましょう。 まず祈る手を切りとれ、という言葉から。これだけだとずいぶん過激な詩だと思われるのですが、目の鋏で、口づけで切りとれ、と言っているので、ここでは直接的な暴力が言われているわけではありません。この本のテーマはサブタイトルにもあるように〈革命〉ですが、そこで強調されるのは、革命の本体は暴力ではない、ということです。では革命の本体とは何か。それは「折りたたまれたもの」です。これはサブタイトルにある〈本〉、そして文学こそが革命の本体であるということになります。 それでは、革命の本体、本を読むとはどういうことでしょうか。そこでルターやムハンマド、中世解釈者革命の話になります。 世界史の知識になりますが、いま流行りの感染症の話題でいうと、ペストと宗教改革は関係していると言われています。ローマ教皇がいくら祈ってもペストは治まらない。医学を担当していた神父たちも全然治せないわけです。そこで人々が不満を持ち始め、その後の宗教改革へとつながったそうです。 ルターが宗教改革という革命を始めたのが1517年。95か条の論題をヴィッテンベルクのしろ教会の門に叩きつけたことから始まったとされています。 ルターはよく聖書を読みました。どこまでも読み込みました。その結果、聖書のどこにも、教会に金を払えば罪が許されるなんて書いてない。教皇が偉いなんてことも書いてない。自分たちがやっていることに、何の根拠もないということに気づきます。 また、イスラーム教創始者のムハンマドは文盲でした。にもかかわらず、神から「読め」という啓示を受けます。読め、と命じられた本は神の言葉で書かれていて、そもそも人間には読めない本でした。そんなムハンマドが神の言葉を読み、クルアーンを書きました。 また、中世解釈者革命は、後世のローマ法の発見と、その読み込みによる教会法の書き換えです。これは近代法と近代国家の起源になりました。これは地味なようですが、革命の中の革命、革命の起源であるとされます。 なぜこれらが革命なのか。中世解釈者革命、ルターの革命は、教会法の革命でした。ムハンマドの革命はイスラーム法の創造でした。それらはキリスト教共同体の全体、イスラーム共同体に生きる人々全体にかかわるものであり、単に聖職者にかかわるだけのものではありませんでした。 ルターの革命、ムハンマドの革命、中世解釈者革命、これらに共通しているのは、聖書や神の言葉、そしてローマ法というテクストを読むこと、そして従来の法を書き換えることでした。ここから革命の本体とは、本を読むこと、そして広い意味での文学なのだ、という結論になります。 ここでいう「文学」とは、言語芸術としての「文学」を超えて、読んだり、書いたりする技法一般のことを指しています。ここから、法や規範や制度にかかわる「法」というテクストを読み、書く技術も「文学」とされます。 もちろんフランス革命やアメリカ革命、ロシア革命など、ほとんどの革命では大きな暴力が振るわれています。だからこそ、そもそも革命とは何だったのか、を考えることによって、暴力によらない、別の形式の革命が可能なのではないか、という問いかけがあります。 暴力によらない、別の仕方での革命へ賭けよ。ラカンの用語で言えば「女性の享楽」を目指せ。それがこの本の最大のメッセージです。 では、「切りとれ、あの祈る手を」というとき、目の鋏で、口づけで切り取られた「祈り」とは何でしょうか。それは「終末論」と呼ばれる思想です。そのなかでナチス、オウム真理教が批判されますが、並べて批判されるのが歴史の終わり、近代文学の終わり、芸術の終わり、写真の終わりといった言説です。 まず、この本で言及されている「終末論」とは何でしょうか。 ここでいう終末論は、ユダヤ・キリスト教の終末論とは区別された用法で用いられています。ここでいう終末論とは、「いつか」終末が来る、という思想ではなく「自分が生きている間に」終末が来るという思想です。ナチスやオウムが例として挙げられ、このようなものを望む欲望についてはラカンの「絶対的享楽」という用語で説明されます。 また、「自分が生きている間に」歴史は決定的瞬間を迎えている、という思考も同列のものとして扱われています。ここでは現代思想が批判されますが、例としてアガンベンが挙げられています。 なぜこれが批判されるかというと、ここが決定的瞬間である、ここが歴史の終わりである、と判断する根拠が自分だからです。ここが終わりだ、ここが決定的瞬間だ、と決定する根拠が、自分の外側にオブジェクトとして存在するテクストではなくて、サブジェクトである自分なので、自分で終末とか決定的瞬間を好きなように指定できてしまう、ということになります。 なんでこんな思想に陥ってしまうのか。それは「本」が読めないからだ、とされます。正確にいうと「本の読めなさを読めていない」からです。本と自分の区別がついていない。だから、すべて読めた気になってしまう、すべてわかった気になってしまう。そんな人たちについては、「批評家」「専門家」として批判され、彼らの欲望についてはラカンの「ファルス的享楽」という用語で説明されます。 最後にまとめとして、この本の最も有名な部分を引用してみましょう。文学は終わらない、我々には革命が可能である、と高らかにうたいあげる部分です。 さあ、われわれには革命が不可能であると考える理由は、何一つなくなりました。何も終わらない。何も。 さて、切手本を読まれた方はぜひ、前著の『夜戦と永遠』もお読みください。いま現代思想ではフーコー、そして霊性、スピリチュアルについて議論されていますが、その辺りの論点についてもしっかりと論じられています。それでは終わります。 ----------------
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國分功一郎による佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』の書評の紹介
今回は、次回の動画、紀伊國屋じんぶん大賞を読む。國分 功一郎『暇と退屈の倫理学』の予告編になります。 國分功一郎による佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』の書評を紹介します。 書評は以下のリンクから読めます。 https://ameblo.jp/philosophysells/entry-10803688934.html 以下、動画の文字起こしです。 ---------------- こんにちは。倉津拓也と申します。紀伊國屋じんぶん大賞を読む、という番組をやってます。次回は2012年の第二回大賞受賞作、國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を紹介する予定です。そこで今回はその予告編として、國分さんによる、佐々木中『切り取れ、あの祈る手を』の書評を紹介します。 この書評で國分さんは、本書の内容について、破天荒に面白い、と書きます。具体的には、ルターがドイツ語で本を書いて書いて書き倒したことで、近代ドイツ語の創始者となったことや、ドストエフスキーやトルストイがロシア語で小説を次々と書いていた時期、ロシアの文盲率、自分の名前も読んだり書いたりできない人の割合は九〇パーセントを超えていたことなどを挙げています。 ちなみに本書で、佐々木さん自身も破天荒な話だ、として「大絶滅」の話をしています。これまで地球では5回の大絶滅があり、それでも我々は生きている。終わらない、何も。と語っています。 さて、ここで國分さんは内容に加えて、佐々木さんの文体、スタイルに注目します。『切り取れ、あの祈る手を』から引用してみましょう。 そしてある時に、私はさまざまなものを捨て始めたのです。美術館通いをやめました。映画を見るのをやめました。聴くことを止められるなどとは思いもしなかったけれど、音楽活動は止めました。テレビを見るのを止めました。雑誌を読むのをやめました。スポーツ観戦も止めました。なぜかタバコまでやめてしまってね。私がそれらをどれだけ愛し情熱を注いでいたかなどということは、みなさんにお伝えする必要があることとも思えませんけれども。そして、さまざまな情報を遮断することにした。 前著の『夜戦と永遠』で、佐々木さんはラカンの難解さについて論じ、その難解な文章を読むことを通じて読者はラカン的主体へと生成するのだ、としました。そして國分さんは、同じことを本書の文体についても言うことができ、佐々木さんはこの口調を通して読者が〈革命〉の主体へと生成することを求めている、とします。 そこで、「やや唐突かもしれないが」と断りを入れたあと、國分さんは佐々木さんのことを「現代の偉大なるデカルト主義哲学者」とします。あらゆる情報を遮断して、ただ本を読んだ佐々木さんの姿は、全てを疑った結果、自分が疑っていることだけは疑うことができない、という考えにたどりついたデカルトに似ているとされます。 また、その論述の仕方についてもデカルトとの並行関係が見いだされるとされます。論述には分析的方法と総合的方法があります。分析的方法とは、結果から原因へと遡ることで事柄を認識しようとする立場です。総合的方法とは原因から結果へと進むことで事柄を認識しようとする立場です。デカルトは分析的方法を好み、総合的方法を嫌いました。そして佐々木さんもデカルトと同じく、分析的手法をとっている、とされます。ここで國分さんが論点として取り上げるのが佐々木さんの国家論です。引用してみましょう。 ピエール・ルジャンドルの思考の独創的な核心はここにある。つまり、彼は国家の本質というものを暴力や経済的利益に切り詰めたりしない。国家の本質とは、「再生産=繁殖を保証する」ことである、という。つまり子どもを産み育てる物質的・制度的・象徴的な配備を行うことが、国家の役目なのです。 しかしこの国家論については、これは国家の本質というより、国家の本質より結果する帰結のひとつではないか、と批判されます。國分さんの書評から引用してみましょう。 分析的方法では、結果に過ぎないものが本質と見まちがわれる危険がある。見まちがいが起こる場合、それを引き起こしているのは論者の欲望である。その点で佐々木の国家論には注意すべきだろう。 そしてこのような分析的方法は、総合的方法よりも強く読者に働きかける効果を発揮している、と結論づけます。 國分さんはスピノザの研究者です。そして『スピノザの方法』のなかで、このようなデカルトの「説得」の哲学を批判しました。それでは國分さんは、そのうえでどのような文体、スタイルを選ぶのでしょうか。次に紹介する『暇と退屈の倫理学』も、大変特徴のある文体の本です。いくつか印象的なフレーズを引用してみましょう。 パスカルよ、人間が部屋のなかに静かに休んでいられないのは当然のことなのだよ! ガルブレイスよ、よく聞け。君こそがこの「悲しみ」を作り上げているのだ。 コジェーヴよ、お前は自分がテロリストに憧れる人々の欲望を煽っていることがわかっているのか?お前の壮大な勘違いは決して無垢ではありえないのだ。 このような文体は、どのような意図をもって用いられているのでしょうか。そのようなことを考えながら、『暇と退屈の倫理学』を読むのも面白いと思います。それでは終わります。 ----------------
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一人称単数 |村上春樹 <新刊レビュー>
村上春樹の6年ぶりの短編集『一人称単数』(新刊) たいへん読みやすいだけでなく、長年の読者も満足させる仕掛けに満ちた、とても素晴らしい短編集に仕上がっています。 今回の動画では、村上春樹にとっての短編の解説、また、この短編集の全体を代表する作品として、表紙のモチーフになった作品「ウィズ・ザ・ビートルズ」を紹介します。 以下、動画の文字起こしです。 ---------------- 一人称単数 今回は村上春樹の最新作、『一人称単数』を紹介します。 2014年の『女のいない男たち』から6年ぶりの短編集で、どの作品も傑作です。 まず表紙が素晴らしい。豊田徹也さんという漫画家による表紙です。たまたま珈琲時間とアンダーカレントを持ってるのですが、どちらもとてもおもしろい作品です。豊田さんはインタビューで「これまで描いた自分の作品には、どこか村上作品の残響を感じます。」と話されていますが、特に「アンダーカレント」には「ねじまき鳥クロニクル」のような最良の村上作品の響きを濃厚に聞き取ることができます。アンダーカレントという題名はビル・エヴァンスとジム・ホールの「アンダーカレント」というアルバムから取られています。 さてこの表紙ですが、収録されている「ウィズ・ザ・ビートルズ」という短編がモチーフになっています。 村上春樹が短編小説についてどのように考えているかを書いた本として『若い読者のための短編小説案内』があります。 そこで、短編集には中心的な作品が存在し、他の作品はそれを支えるように存在する、という話をしています。例として、『神の子どもたちはみな踊る』という短編集の「かえるくん、東京を救う」という作品が、中心的な作品として挙げられています。今回の『一人称単数』では「ウィズ・ザ・ビートルズ」が、その中心的な作品に位置づけられるのではないかと思います。今回の短編集でもっとも長い作品でもあります。 中表紙は「品川猿の告白」という作品をモチーフにしています。「品川猿の告白」は『東京奇譚集』に収録された「品川猿」の続編です。「東京奇譚集」で中心的な作品を選ぶとしたら「品川猿」だと思います。 それでは内容に入ります。「ウィズ・ザ・ビートルズ」の冒頭で、一人の女の子のことが描かれます。引用します。 「彼女は美しい少女だった。少なくともその時の僕の目には、彼女は素晴らしく美しい少女として映った。それほど背は高くない。真っ黒な髪は長く、脚が細く、素敵な匂いがした。僕はそのとき彼女に強く心を惹かれたーLP「ウィズ・ザ・ビートルズ」を胸にしっかりと抱えた、その名も知らない美しい少女に。心臓が堅く素早く脈打ち、うまく呼吸ができなくなり、プールの底まで沈んだときのようにまわりの音がすっと遠のき、耳の奥で小さく鳴っている鈴の音だけが聞こえた。」 この表紙では女の子と生け垣に打ち捨てられたビートルズのLPだけがクリーム色で描かれています。しかし表紙を外すと少女はおらず、裏表紙にはLPもありません。収録されている短編にはまさに「クリーム」という題名のものがあります。そこでは人生のいちばん大事なエッセンスとして人生のクリームという表現が用いられていますが、そのことが表紙の女の子とビートルズでも表現されているのではないかと思います。 小説の中では、その少女を目にしたのはその時だけで、実際に存在したのかどうかはわからない、と書かれています。しかしそのような現実だったのか夢だったのかわからない思い出の女の子の記憶が、自分にとって最も貴重な感情的資産となった、とされています。 ここで村上春樹によるものだと考えられる、本文には出て来ない帯文の文章を引用します。 「短編小説は、ひとつの世界のたくさんの切り口だ」 「一人称単数とは世界のひとかけらを切り取る単眼のことだ。しかしその切り口が増えていけばいくほど、単眼はきりなく絡み合った複眼となる。そしてそこでは、私はもう私ではなくなり、僕はもう僕でなくなっていく。そして、そう、あなたはもうあなたでなくなっていく。そこで何が起こり、何が起こらなかったのか?一人称単数の世界にようこそ。」 この短編集では、どの作品にも主人公の固有名が出てきません。語り手は全て、作者である村上春樹を想像させる漢字の「僕」、ひらがなの「ぼく」、そして「私」という一人称単数を使っています。 この帯文で言われていることは、ひとつの「世界」があり、それを断片として切り取るさまざまな主観がある、ということです。 一般に物語を読む、ということは、現実にはばらばらに存在する読み手が、物語のなかの「僕」や「私」に同一化して読むということです。そこでまず「あなた」は「あなた」ではなくなり、さらに物語のなかで「あなた」は「あなた」という人間を成り立たせている、とても重要な出来事、「クリーム」が、現実に存在したのかわからなくなるような経験をすることになります。そこでさらに「あなた」は「あなた」でなくなっていく。そんなことがこの帯文で示されているように思います。 「ウィズ・ザ・ビートルズ」は、語り手の僕が過去を回想するという形式で始まります。はじめに僕は、過去の同世代の、美しくて溌剌とした女の子たちが、今では年老いてしまったという「現実」について考えると、悲しい気持ちになる、という話をしています。なぜ悲しい気持ちになるかというと、僕が少年のころに抱いていた「夢」のようなものが死んでしまうということだからで、それは実際に存在している女の子たちが死んでしまうことよりも、もっと悲しいことかもしれない、とされています。 導入から明らかな通り、これは死をめぐる物語です。いくつかの死が記述されます。順番に並べてみましょう。 1927年 35歳の芥川龍之介の自殺 1968年 担任の自殺 1980年 32歳のサヨコの自殺 サヨコというのは僕の高校生の頃のガールフレンドの名前です。この物語に登場する人物で名前を持つのは、このサヨコと妹のユウコだけです。もっとも多く描かれる場面はサヨコのお兄さんとの会話ですが、お兄さんの固有名は明かされることがなく、ただ「僕のガールフレンドのお兄さん」という属性のみで記述されています。 僕とサヨコは高校一年生のときに同じクラスで、二年生のときに付き合うことになります。自殺した担任というのは高校一年生のときの担任です。自殺の原因は「思想の行き詰まり」だったと説明されています。 この物語のほとんどは、「お兄さん」との、二度の会話で成立しています。お兄さんはサヨコの4歳年上です。 まず一度目の会話を見ていきましょう。1965年の秋の神戸です。その日、僕はデートの約束をしていたのでサヨコを家まで迎えに行ったところ、お兄さん以外だれもおらず、家に上がって待つことになります。そこでなぜか僕はお兄さんに、たまたま持っていた教科書に掲載されていた芥川龍之介の『歯車』を朗読することになります。「誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?」という一行で終わります。 そのあとお兄さんは、自分の病気について話します。遺伝的な疾患で、年に1、2回、記憶の一部が消えてしまうそうです。その記憶の喪失について、僕にこんな話をします。引用します。 「たとえばそうなったときに、つまりひゅっと記憶がと切れているときに、もしぼくが大きな金槌を持ちだして、誰か気に入らんやつの頭を思いきり叩いたりしたら、それは『困ったことでした』みたいな話では済まされんよな」 このような不安から、お兄さんは学校に行けなくなり、家にこもるようになったと話します。 二度目の会話はそれから1983年の東京で偶然出会ったときのことです。 お兄さんは、サヨコは26歳のときに会社の同僚と結婚するのですが、32歳のときに自殺した、原因はわからないと話します。 僕とサヨコは20歳のときに既に別れています。原因は、僕に他に好きな子ができたことでした。その東京で出会った子は、冒頭の女の子のように「耳の奥の特別な鈴」を確かに鳴らしてくれたのだが、サヨコの場合は、どれだけ耳を澄ませても、その鈴はならなかった、と回想します。 お兄さんは記憶が飛んでしまう病気は治り、いまは父親の事業を継いでいると話します。そして、サヨコは君のことがいちばん好きやったんやと思う、と話し、二人は別れます。 最後に、教科書の設問ふうに「設問・二度にわたる二人の出会いと会話は、彼らの人生のどのような要素を象徴的に示唆していたでしょう?」という問いかけがあります。 もしかしたらお兄さんは、僕とサヨコが別れたことが、サヨコの自殺と関係していると考えているのかもしれません。僕とサヨコの会話の描写は少ないのですが、その中にサヨコが「私は嫉妬深い」と話し、それだけは知っておいてほしかった、そしてそれは、ときにはすごくきついことだ、と話す場面があります。 また、お兄さんは記憶が飛んでしまったときの自分の行為をとても恐れています。自分が原因で引き起こされた、しかし自分の意志ではコントロールできない結果について、どのように考えればいいか。または責任をとればいいのか。二人の出会いは、そんなことを示唆しているのかもしれないと思います。 それでは終わります。 ----------------