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金柑のはちみつ煮をつくる
金柑が大量に売られている。
まるい親指の第一関節ぐらいの。もしくは人差し指の第一関節ぐらいの金柑が大小、数えていないけれども30個以上がごろごろと無造作に大袋に入って、近所のスーパーで398円。かなり安い。
そのままかじって食べてもおいしい。でも「このみかん、むいても実がない、種ばっかり」とめんどうくさがり屋の家族がどうも敬遠している気がして、ちょっとはちみつで炊いてみる。美味しい。美味しいので、お茶うけにずっと食べている。食べるとなくなるので、また買ってまた炊く。ずっと美味しい。美味しいものがずっと家にあるのは、このうえなく幸せ。
とろっと炊かれた金柑は、皮のつぶつぶがなくなって、口にいれたときにほんわりとやわらかくてまるくて、ほっこりした甘味が優しい。はちみつと金柑だから喉にも優しくて、いい声で「おいし」と言えるのも嬉しい。
金柑のはちみつ煮は、全然手間がかからない。
金柑を洗う。へたをとる。十字の切れ込みをいれる。種は取らない。本当は取ったほうが食べやすいのであろうけれども、種取りの時においしい汁を一緒にほじくりだしてしまいそうで、もったいないから何もしない。そのまま鍋にごろっと移し、水から強火で数分煮る。こうするとアクが抜けるらしい。その煮汁を捨てたら、また水とはちみつで、今度はゆっくりことこと炊く。とろっとなったらできあがる。
分量は知らない。数分とはいかに、とかもよくわかっていない。とろっと、ってなんですかと問われたら、なんとなくぽつぽつの泡にとろみを感じたらとしか言えず、レシピを誰にも、昨日のわたしから明日の私にも申し送りできない。今日つくったものを、明日再現することはできない。
でもいいいや、と思っている。
じゃっといれて、ことことして、とろっとしたらなめてみればいい。あ、おいしそう、と思えるところで火をとめたらいい。ひとつつまんで、おいしければそれでいい。おいしくなければ、味を足してみればいいし、何か別のものとして食べればいい。つぶしてお湯と混ぜてみたり。パンにのせてみたり。いつも同じ味じゃなくていいとも思っている。いつも違う金柑なのだから。
金柑のはちみつ煮なんて、いかにもおふくろの味って言われそうな食べ物だけど。母も祖母も叔母も誰も作らなかった。結婚して初めて、そんなものが世の中にあるのだと知って、だからって作るつもりはなかったけれど。スーパーで大量の金柑をみたら、なんだかおいしそうに思えて、だから調べて作ってみた。
こんなにも簡単に、作り方を調べられるなんて、便利な世の中になったものだな。そんでもって、好きなものを好きなように作って、好きなときに食べられるなんて。こういうところにおとなの醍醐味があるよねと、あったかい黒豆茶のお茶うけに金柑のはちみつ漬けをつまみながら、そんなことを思っている。