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折り返し地点としての夏至よりも冬至のほうが気になりがち


はじめに

 冬至が近づき、朝のゴミ出しに苦慮していた。賃貸に移って以降、冬をむかえるの2回目。夜が長くなり、あかるくなるのもずいぶん遅い。夜が明けてからゴミ出しするというルールどおりにやろうとすると、通勤で家を出る時間を遅らせなければならない。いちばん車の混む時間になる。この時期は窓の外が白んでくるのを待ちわびつつごみ袋をたずさえて出勤。

きょうはそんな話。

冬至をむかえる

 ことしの冬至は12月21日だった。宇宙に惹かれるわたしはダイナミックな地球のうごきをまずイメージしてしまう。23.4度だけ地軸をかたむけくるくるこまのようにまわりつつ、太陽のまわりを公転していく地球。その地球のつくる太陽のかげにかくれて、夜空をにぎやかに飾るオリオン座のすがたが思い浮かぶ。

どうしても冬至のころに冬の星座、白夜など「夜」のイメージにちかい。それもそのはずでいちばん夜が長い。夕方から寝るまで夜長の暗がりだし、朝起きてもまだ室内は暗く、昨夜からのつづきのよう。冬眠ということばがよぎる。

かぼちゃを買う

 以前ははたけだけでなく庭先でもかぼちゃをあちらこちらに植えていた。うまく苗を育てる時期をずらすとこの時期にちょうど日もちするかぼちゃの実を台所にころがしておけた。お盆のころはあっさり傷むかぼちゃだが、秋に収穫したものはこの冬至の時期にまで置いておける。しかもおいしい。「冬至のかぼちゃ」とはよく言ったもの。

それを思い出しつつ、きのうは店で半切りのラップにくるまるかぼちゃを買う。スライスしてソテーにしてもいいし、かぼちゃとひき肉で煮込んでもおいしい。てんぷらもいい。この時期の緑黄色やさいのひとつとして栄養をとるのにうってつけ。

防寒具をそろえる

 昼間でも風がつめたいので、もっとも暖かい格好になるようにしまっておいた毛糸のセーター、マフラー、手袋をとりだす。いずれも先週から一気につかう。これは昨年とほぼ一緒。気温のわりに体感だけはけっこう低いと感じる。まだ寒さにからだが慣れていない。

さて、この寒さ、こののち年を越したらどうなるだろう。ことしはじめは今回と同じくらいの数日だけつづく寒気が2度ほど訪れたのちは一転して早春のような陽気がながくつづいた。冬はたったこれだけ?という感触だった。真冬のコートは結局、通勤の曜日の関係で2回しか使わなかった。

おわりに

 ことしは念には念を入れて、はやくから暖房をいれて温度を維持しがち。部屋がさむいのはからだにストレスがかかるのはまちがいないと考えたから。昨年までは基本的にひとりならば夏はもちろん冬もエアコンをほとんどつかわなかった。ファンヒーターを入れるのはほんの何日かだけ。

寒さにまだからだの慣れていない真冬なみの寒気の到来とともに数回だけ稼働。その結果、毎年のように買った灯油が余り、風呂の給湯用のタンクへ移す。それがことしは夏は30℃、そして今冬はエアコンで18℃を維持。足りないと上着を重ね着する。

朝起きたらエアコンをつけて18℃に、そして昼まえに室内に陽ざしが入りはじめたら切る。そして夕方に室内が18℃を切るころにエアコンをふたたび入れる。このやりかたならばエアコンの初動のフル稼働は朝だけ。たしかにのちに1日の消費電力の推移を確認すると、この初動時にもっとも電力を消費するが、そののちはそんなに多くない。


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