新紙幣をみること・つかうことはわたしにとって今後ほとんどなさそうな気がする
はじめに
まもなく新紙幣が市中に出まわるらしい。ここは地方なので市中の店で目にするようになるのはずっとあとかもしれない。以前の紙幣があたらしくなったときも報道されてからかなりあとでようやく目にしたぐらい。今回はある理由からさらにそうなりそう。
ほとんど現金を手もとであつかうことがそのとき以上になくなったから。
きょうはそんな話。
紙幣・硬貨とも
あっというまに現金を手にすることがなくなった。カード払いがふつうになってしまった。というより外を出歩く際にもはや財布を持参しない。
しばらく前にある商店だけ数百円の商品を硬貨でやりとりしていた。こじんまりした商店で高額の紙幣をさしだすのは失礼かなと外出時にわざわざ家にある硬貨をあつめて出かけていたぐらい。それはちょうどひとむかしまえのバスを思い出す。硬貨のもちあわせがあるかどうかをたしかめてから乗っていたっけ。
こうして現金をもたずに外出するので、なかなかこの店で買うチャンスがなくなった。そのためだけに硬貨を遠まわりのATMでわざわざ引き出すのもわずらわしい。
もとへはもどれない
いったん身についたらもとの生活にはもうもどれないだろうと思う。もともとがズボラなので財布のなかの貨幣にふれずにすむ生活はずいぶん気が楽。
くわえて昨今の状況下での生活がつづいてなるべくそうしたいのもたしか。あいかわらずスーパーなどの店の出入りにはアルコール消毒とマスクすがた。もうこれが永続しそう。店にないときには手に携帯スプレー。
たしかに自己で自由に選択すればよい段階。わたしは基礎疾患もちなのでそのままだし、まわりがどうかなどは気にしないほう。したがって現金をとりあつかわないのをヒトには強制するつもりはない。すでにしごとの取引は7,8年前にはすべてキャッシュレスにきりかえた。
新紙幣は…
すると、おそらく7月以降あたらしいお札を目にすることはしばらくなさそう。もはや本物かどうかさえ見分けがつかないだろう。その点では注意が必要かもしれない。なおさら現金のやりとりはその意味でわたしの場合はしばらくさけたほうがよさそう。
こうしたものは慣れが肝心。それがないままだといろいろと不都合が生じるかも。つい先日のこと。歯科医院でひさしぶりに現金で治療費を支払った。その際にてもちの500円玉をとりだし、支払いに使おうと手にとり、はたと迷った。見慣れない硬貨。受付の方に「これって本物ですかね?」とわたし。へんな質問を発してしまった。
けげんな顔で「そ、そうですね。このあいだかわった新500円玉ですよ。」とのお返事。すでに3年あまり前に発行されはじめたふちの黄色い硬貨。わざわざ財布のなかみをしげしげとみつめることはしない。おそらくいつのまにかわたしのところへ来ていたらしい。
おわりに
今回もおそらくそんな経験をしそうで現金をなるべく扱わない・扱いたくない心理がはたらく。しかも節約で「1回の買いものは千円を越えない範囲でおこなう」をほぼ絶対の行動規範にしている。なおのこと新紙幣は疎遠な存在になるはず。
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