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あらためて考える:自国でやさいや麦をつくれてたまごを手にいれられるということ
はじめに
昨年の記事につづいてこれからさきのたべものについてかんがえたい。
農業を6年ほど経験してみるとある程度ぼんやり見えてくる。できる範囲で自給して食べていけるといちばんいいのかなと思う。つぎのひっこし先についてそうしたスペースをイメージしてみる。
もとに住んでいた中山間地の家は一面でそれを満たしていたが食べていけない。農業だけではひとりぐらしでも生活はむずかしい。しごとにむかうとなると通勤に難渋するところだった。両方を満たそうとするとなかなか…。農業だけでたべていくのが理想。だけどそれはこのクニではなかなかむずかしい。その打開ができないか。
きょうはそんな話。
家まわりのはたけ
つぎはある遠方の地に住むかもしれない。いま住む街とほぼおなじ規模だが交通の便がよく、まわりはわりとたいらな土地がひろがり家々が点々とある。PCのマップから概観するとそうみえる。はたして自給できるだけの家と土地はみつかるだろうか。
意外とつぎの場所はいま住むエリアちかくかもしれない。もっとしごと場にちかいところでそれができればいちばんいいがなかなかむずかしい。中心市街地にちかづくので希望とは相反するにちがいない。
さきをみた行動
農学を大学で専攻した娘は独立して隣県の指導農家に指導を受けに通っていた。その前後に食の生産、流通、認証機関などの職に就いて10年たらず。奨学金を返し終えて畑を買い、さらに借りて農業と園芸に従事している。
間髪いれずに中古住宅を買いリフォームして住んでいる。家のまわりには耕せるだけの土地がある。手際のよさをいつのまにか身につけ、まさにわたしがこれからやろうということをつぎつぎと体現している。考えるより実行するわかさだろうか。はるかにさきにいっている。いつのまにか伴侶をみつけ、ふたりで経済的に地固めしつつある。なにごとも思い切りがいい。
さきが見えづらい
さて、じぶんごと。もうひとつの研究・開発のしごと。身はひとつなのでしごとをまとめたい。そのための一連の行動でもある。
農業に関して「6次産業」ということばが一時期よくつかわれた。どうもそれだけではたちゆかない。このクニで農業を自立した産業として、いざというときのセーフティーネットとして強固なものにそだてあげるにはなにが必要か。人口が多く適した土地がすくなく集約的な農業しか成立しないむずかしさをかかえる。
以前に農業をささえるサポート役が必要そうとクニの農政局の担当者とはなした。ものごとはたやすくはない。いわば「7次産業」ともいえそう。それでもだれかがやらないとまえにすすまない。やりかたも模索中。
前むきにやろうと
一方、わたしの主宰する学習サポートはまなぶヒトをさまざまな側面からささえる。やむなく学習支援業にジャンルわけされるが実態はちがう。
そのため学習塾とは一線を画しているつもり。これを農業の支援(とくに志望者むけ)に活かせないか模索中。ほかにも農業を多面的にサポートする事業とは…。
おわりに
長年やっているとさまざま見えてくるし、さきのほうがぼんやりみえるときがある。その一瞬だけ霧が晴れた瞬間にタイミングよく時流にのれるかどうか。
モデルはない。世のなかのもとめるものと一致したときに波にのれるように思う。
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