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ふと、そうめんの端っこはおいしいとわかったことを思い出した


はじめに

 なんでもない、とりとめのないことがぽんとあたまに浮かんだ。以前noteに記した続編。どういうわけかすみっこのほうを食べるのが好き。食材が何でもそう。なかにはこんなものも。

きょうはそんな話。

そうめんの端

 すでに10数年前のできごと。ふと思いたち明日香村を訪れた。歩くよりも巡れると貸自転車で一帯をめぐる。高松塚や石舞台古墳、亀石などをみてまわる。

亀石の根付

ついでに、そういえば今晩のおかずをと思い至った。

このまま帰るのも何なのでこの地の産品を買って帰ろうとめずらしく思った。地元の店に立ち寄りさがすときれいな箱にはいったそうめんとはべつに、なにやら透明袋にはいったものが。

はしきれ

 その商品はそうめん?のはずだが、手あたりしだいにふくろに詰め込んだよう。ところどころちいさくバチのように三角形の平たいはしっこ(のちに調べると「ふし」というらしい)。しかも手ごろな値段。今夜は帰ってこれで温麺をつくろうと購入。

そうめんの産地だが、製造途中でこうしたものが生じるようだ。それを地元では食べている。味は変わらないはずだし、値段もやすい。はしっこ好きな性分としてこれ以上のものはない。

魚のあら

 魚をまるごと買いたいところだが、生ごみを出せる曜日が限られるので、そのタイミングで鮮度のいい魚が手に入らない。やむなく手の加わったものにむかう。切り身は高価なうえに好みでなく眼中にない。もっぱらすみっこのほうに追いやられる魚のあらを探す。おろしたあとの残骸といっていい。

この部分はおいしいところが集積し、よいだしが出る。汁ものにはいちばん。すみっこの部分がふんだんなうえに値段がやすい。魚はあらの部分がいちばん高い値がついてよさそうなぐらい。コスパがよいと思うのだが…。世のなかとは正反対の価値観なのかもしれない。

教室のすみ

 研究パートのしごとではゼミにも参加する。スタッフや学生・院生たちと顔を合わせる。ここではまったく紙を使わない。手もちのノートパソコンをたずさえ、ここで発表や質疑応答に参加。わたしとておなじ。

持参のPCはそろそろ交換時期でバッテリーが消耗。電源なしでは3時間ともたない。ゼミ室ではいつも壁ぞいの電源コンセントをさがす。いつとぎれてもだいじょうぶなようにつねに電源コードを差した状態で使う。

これがつねになり、いつも教室のはしっこに陣どる。そんなようすに学生たちは気を利かせて「ここにありますよ。」と教えてくれる。お礼を言いつつ、そろそろPCをなんとかしないとと思う。

おわりに

 こうしたすみっこを好む性質はこどものころから。どうも生涯変わらないものらしい。つねに目立たぬようにふるまうつもりは毛頭ないが、いつのまにやらそうなった。世間様に何らめいわくをかける行動ではないはず。それだけを気にしつつ、そうっとめあての席にすわる。


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