スマホはすでに「電話」として未完成のまま、ほかのなにものかになろうとしている機材ではなかろうか
はじめに
ふたつ折りの携帯電話からスマホに変えてかれこれ4年になる。その前はPHS、黒電話…。スマホをつかいつづけてやっぱりなあと思うことのいくつか。
つかいづらい
ヒトがスマホで電話をかけているのを見る機会がなかなかない。ヒトはどうしているのだろう。だってめったにかかってこない呼び出し音が鳴ってから送り手に応じるまでに、すぐに出られないのはわたしだけだろうか。
アンドロイドスマホ。まずはカバーをひらいて、真っ暗な画面を右ボタンを押して顔認証。そのあとは電話マークのアイコンをさがしだし押す。すると通話アプリを立ち上げたころにはいつのまにか呼び出し音は消えている。
もっとてっとり早く応答する手段がありそうだがそれはここでは問わないとする。いずれもはっきりしない方法でしか使えない。ここまで10秒ほどだろうか。よく切れてしまう。たいていかけ直す。
上のやりとりでもうわずらわしくなり、たいていかけて来た方へ失礼を承知のうえでLINEなどで応答。非通知の電話にはそのうちかけていただけるだろうと、そのまま待つ。
つながっても…
ようやくつながって会話できても手の小さいわたしには持ちにくいし、耳にあてにくい。耳に近づけ過ぎると勝手に切れてしまう。そのくりかえしで電話をかけなくなったし、かかってきても出るのにいつも躊躇してしまう。
なんか不便。30代まで使っていた黒電話はらくだった。り~んと鳴れば受話器を上げるだけ。基本的には機器自体をはたらかせるのに電源を必要としない。停電などの災害にはその点だけみると利点でもある。受話器をあげて耳にあて「ツー」と音がしていれば電話線がつながっていると確認できる。それだけでいい。機器としての完成度がたかい。
たしかふたつ折りの携帯電話の前につかっていたPHSもそう。いまの画面よりずっとちいさな画面だったが、基本的によびだしに応じるボタンだけで出れた。
もはや電話機ではないのか?
これはわたしのかんちがいなのかもしれない。新規の世の中心にすえる「電話機」という道具はこの世のなかに存在しないのでは。スマホはネットにつなぐ道具なのかもしれない。それが最近は確信に近くなってきた。かたや電話という通信手段はそれほど主要なものでなくなったのかも。
それでスマホ自体、電話をかけやすくする方向へ進化しなくなったのだろう。「電話ができる」のはおまけの機能。「電話」を完成度の目標にしなくなった。
たしかにわが家ですらFAXや固定電話がない。ここ数年で廃止した。家族から指摘されるまでうっかり基本料の支払いがつづいていて使ってなかった。かかってくるのはへんな勧誘ばかり。知りあいは固定電話にはかけてこない。じぶんもかけないし、電話しない。
そうか、それならば納得できる。スマホがこんなふうにぺったんこな形状のままなのはその理由のためなのか。そうとらえてひとりで勝手に納得している。
スマホは認証かwifiルーターがわりの道具かも
わたしはスマホでネットを使わない。わが家でも仕事先でもノートPCでどこでもインターネットを利用する。なにしろ若いころから目がよわく小さな文字はニガテだし、画面全体を把握しづらい。しごとではなおさら。それならばとスマホとPCを持ち歩く。つまりテザリング。めったにない電話(たいてい目上の方から)を受けるための当面の処置。
もはやこれで機器をスマホとPCのふたつでことたりる。通信機器はほかにいらないし、ずいぶんやすくで済む。最近は以前から使ってきたこのスマホはわたしの頭のなかでは、「スマホ」ではなく「テザリングのwifiルーター機具」と化している。あとは個人の認証機。最近はスマホをつかい顔と個人の免許証などとで認めてもらえる。それ以外でもそれ以上でもない。
おわりに
なんか不便な形状のままだし、充電の手間の多さなど使っていてもわずらわしい。充電専用のコード類が欠かせない。生活がこのわずらわしい道具を中心にうごくのはなんかシャク。けれどもいまのところしかたない。
もっとヒト本位の道具になればなあと感じる。販売は電話会社(もはや死語か?)やその関連会社が牛耳ってなんかなくてよい時代が近づいている気がする。おなじことは主宰する学習サポートでも感じている。小学生にタブレットの形状はないだろうと思いつづけている。これじゃあ、こわれてあたりまえ。
わたしのような使い方はすでに時代についていけてないのかもしれないけど。