硬貨でよろこぶおとなのわたし
はじめに
こどものころからのすりこみというか習慣とはのちの人生に影響を与えうるとこの齢になって思う。
このことは最近、自分でつくったやさいを無人販売していて気づいた。「わたしに硬貨をあたえると機嫌がいい」ということ。おそらく千円札よりも100円玉のほうに魅力を感じてしまう。そんな屈折した人格を形成した理由とは。
やさい売りのおもしろさ
最近までやさいをつくり売っていた話を先日記事にした。
けっこう売れていた。無人販売所のほかにもちゃんとした(失礼)スーパーや道の駅などにも置き、日々動きまわっていた。
そのひとつは年商〇〇億にも達するほどのにぎわいのある店。そこではいちばん売れる盆暮れなどは置いて数時間で4ケースほどの野菜が売り切れるほどの賑わいを見せていた(もちろん昨今の状況になる前)。1日分の売上で、ひと月の食費が出るほどになったことも。
もちろん、雨の日でお客さんがいないとか、天候不順でやさいができない時期などはやはり収入がダウン。ジェットコースターのような売上のアップダウンがあった。
もちろんコンスタントに商品を出していると店からも感謝されるし、評判も上がる。レストランのオーナーなどからも仕入れさせてほしいと声がかかると、やはりうれしい。
収益をいただく際には…
ところがこうした大きな店での売り上げは大きいのだが、いずれも収益に関してはわたしの口座への振込。月々に銀行口座への振込の数字が増えていることを確認するだけ。じつに味気ない。
それにひきかえ無人販売所は収益に関してのインパクトはちがう。現金主義。お釣りを渡せないので性善説にもとづいた自己申告による。
野菜の横に小さなふたつきの上に溝をあけた木箱を置いてここに硬貨で入れていただくようにしていた。これはやさいを持ち込む人それぞれで、それがコーヒー瓶だったり、貯金箱だったり。
無人販売所のすぐそばに本業の学習サポートの場がある。仕事のはじまる前の夕方に販売所のその日の収益の回収に向かっていた。
硬貨で木箱を手にとって重いのを確認すると、ありがたいなあと感謝の気持ちがわいて、しばらくのあいだしあわせな気持ちになれる。ふたをあけて100円や10円硬貨を確認すると、そのまますぐ横の郵便局で振り込む。
半径数十メートルの園内でいずれもが完結する。ある意味便利でコンパクト。この一連の行動はじつに気分がいい。そののち本業をおこなうわけだから報酬をいただける。仕事のあることの充実感をあじわえるひととき。
脳にはドーパミンがあふれているだろう。ぜいたくさえしなければ食べていける。
こどもの頃のコレクション
わたしは小銭をあつめるのがこどものころから習慣になっていた。それは10円玉を集めること。切手集めなどのようにめずらしいものを集めるわけでもなく、日々の手にした10円硬貨を貯金箱におさめ、いっぱいになると大きなカステラの木箱に移し、押入れの奥へ。
箱が重くなることに満足感を得るという、どこか屈折した少年時代を送っていた。
18になり大学に進学するにあたりひとり暮らしに。すでにカステラの箱は押し入れから持ち上がらないほどの重さになっていた。
コレクションは膨大なものとなっていて、中身をいくつかの小袋にすくい出して移し、もよりの郵便局に向かうことにした。希少で1枚で何万円もするらしい昭和△△年製を探すのをあきらめ、近所から手押し車を借りて運び入れた。
たまたま忙しくなかったのだろう。郵便局員はていねいに応対してくれ、持ち込んだものを目分量で見積もり、「30分ほどかかりますが…。」と前もって伝えてくれ、さっそく器械に投入し数えはじめた。
30分では終わらず、表のシャッターがおりて薄暗い局内に待ってようやく数え終わりましたと案内された。なんと当座の旅費と進学準備資金に匹敵するほどの額の印字された貯金通帳をたずさえ家路についた。
新しい下宿先の4畳半でもおなじ収集癖はおさまらず、4年後に友人に手伝ってもらい、近所の銀行の支店に持ち込むはめになった。趣味趣向は因果なもの、もはや修正がきかないらしい。手伝ってくれた友人には夕食をおごった。
おわりに
お読みいただいた方はおわかりだろう。いまだに紙のお札よりも10円や100円硬貨で機嫌をよくする。無人販売所はその点においてわたし独自の幸せを満たせるこのうえない場といえよう。
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