このクニのごくごく平均的なこの街なかで1年くらしてみて気づいた
はじめに
1年前からマンションの3階でくらしはじめた。そのまえは中山間地の谷間の集落にみずから建てた家。台風や大雨で毎年のように避難を余儀なくされかれこれ5年。ようやく決心がついてはなれた。
先日都心へ出向いて気づいた。日常生活はこんなにはなれた地方の街でも遜色ない。モノを必要とするほうではないが、コンパクトなだけ身近で必需品はそろう。なによりヒトが多すぎず息がつまりはしない。
きょうはそんな話。
どちらかというと
老親の世話、災害回避、3つの職場とのアクセス、慢性病の病院、日常生活の買い物などから1年前に引っ越しを決意。くわえてのちに記すようによくありがちな中山間地の集落でのくらしになじめなかった。
わたしの出身地は政令指定都市。今思うと大きな都市だった。ちいさな頃はこのクニの「ふつう」とてっきり思いこんでいた。
さまざまな土地をおとずれ、くらした結果そうではないらしいと気づく。はるかに大きな街がある一方で、めったに人に出会わない地もあると知る。Uターンで出身地の公務員として内定をもらったが断念、いまの父の郷里に前職がみつかりこちらをえらんだ。
市内での移動
前と今のすみかは、おなじ市内でも過疎(中山間地)と過密(現在地)の両極端。長年あちらこちらを転々とした経験からかえりみると、出身地に近いくらしにもどったといっていい。いわばホームタウンにちかい。どうも街ぐらしのほうが性に合う。
今回はなれた地をとやかく言いたくない。退職後に街ぐらしから引き上げて出生地にもどった父すらこの地では「よそ者」あつかい。それからずいぶんあとに同地でくらしたわたしはなおさら。根も葉もないみずからのうわさ話などがめぐりめぐってわりとあっさり耳にはいる状況は捨て置いてもやはりつらい。
つねにどこからか監視されている(言い方はよくないが)かのようでその点はなじめなかった。
自意識過剰というわけではなく、わりと気にせず自由にふるまっていたがむしろそれが災いした感じ。世間とはこういうものかと。自然災害を回避するのがおもな目的ではあったが、これも移動の理由のひとつ。
とはいっても
老いた父親にとり都市でのサラリーマン生活から舞いもどったにせよ出生の家(わたしの元の家とは別棟)に変わりなく、あらたに根がはえてうごかない。災害危険エリアの外なのでしかたない。行政の手厚いサポートをやってもらえている。もとの家を週3回学習サポートのしごとだけでつかうたび、それとなく両親のようすを観る。
同時にこの家にのこした雑品の整理をぼちぼちやる。今月はじめ、住まなくなったとたんに家の水道配管に大きな水漏れがみつかり費用をかけて修理。業者を呼んで風呂場に外から穴をあけて外配管で工事。
長年つかった物品、遺した家もいずれは処分する。こどもたちと相談しほぼ話がまとまりつつある。いずれも子どもたちが好きなようにしていいと伝えた。手際のいい子どもたちはすでに親族の了解も得ているという。あとは墓などをどうするか。
街の変化
さて新居のほう。1年でまわりはさま変わりしつつある。区画整理が終わり主要なビル群が軒なみ完成、まわりもとり壊しや移転などがつづく。部屋にいると休みなく工事の槌音がひびく。
長年つづいた区画整理がきっかけなのはたしかだが、2,30年前まではあたりいちめん田畑だった。じわりと学校や住宅へとかわり、2駅のあいだは以前とはさま変わりし、もとはどこがどこだかまったくわからないほど。いまのところコンパクトな街に住むメリットのほうを感じている段階かも。
おわりに
街のうつりかわりの状況を実地で見るのは興味深い。街が整いきれいになるにつれ、逆にむかしの裏さびれた同地の風景が目に浮かぶ。あたらしくなればなるほど浮かんでくるのはなぜだろう。
あまりに濃すぎる人間関係からはなれてきたのに、その一方で人恋しさをなつかしむなんて。身勝手かもしれない。
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