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論文の執筆はけっこう集中しないとまとまった枚数を記すのはむずかしい
はじめに
研究パートのいまのしごとは論文の下書きが中心。なんとか投稿料のめどがついて着手できた。もちろんそれ以前から投稿に向けて資料をあつめたり補充したり。先立つものがないのでごくごくゆっくりの作業だった。それが急に早くなった。本論はこれからまとめる。とりかかるには気力を充実させないと。
きょうはそんな話。
研究のほかに
研究だけをやりっぱなしだったらこんなに楽しいことはない。まあ、研究発表ぐらいまでは楽しさが持続するかも。ところがそれをいざ論文にまとめて投稿するとなるとちがいは歴然。いくら実験データをあつめても、おおかたの学術論文はほぼおおかたのヒトに内容を理解してもらえるだけの文章を練らないとならない。
審査する複数のレフェリーの方々だけでなく、さいわいに受理され発表されたあともつづく。むしろ世間の評価はそれ以降といっていい。たずさわる生命科学の世界では基本的にどれだけ引用されるかでその論文がいかほどのものか評価されがち。
論文を書く途上で
学会発表してそれなりに質疑応答に耐えられた内容に多少加味してひととおり筋がとおるように仕上げる。そのプロセスでここが弱いなあとか、論理があやふやだとか「あら」が見える。
なかには実験をつけたしたり、先行例をひろいあげるのに漏れがないかなどをもう一度しらべる。どうにか弱いところをひとつずつなくしていく。
論文の書き手とは
一度書き終えても、しばらく置いたほうがいい。いいだろうと思っていたところに疑問点や何かを見つけられる。それをどうにかして回避できないかと策を練る。
場合によっては今後の論点だとディカッションのところで明記する。もはや開きなおりに近い。ここで成果を出せていればもっと権威のある雑誌に投稿できるだろうにという自省の場面によく出会う。欲を出しすぎると何年も投稿が遅れてしまいかねないし、そこを埋められても「もっといい雑誌」に掲載されるとは限らない。
レベルをあげつづける
科学技術は進歩しつづけている。当該分野とておなじ。すでに20年ほどのブランクがあるので、そこを埋めるのが精一杯。あらたな手法をその上にくわえるのはもはや難しい。むしろやり残したことやなにかのなかにまだ光を失っていないものをみつけてみがき直す作業が多い。
とはいえ技術の進歩はありがたく、とくにコンピュータの支援をさまざま得られるのは大きい。学生さんたちに手助けしてもらいつつ、そうした技術を加味しながら論文をしあげていく。これでどうにか体裁が整う。
おわりに
論文書きは以前はすきま時間をみつけてはやっていた。年間10報を何年かつづけていた。それだけ自ら動いてはたらき、同時に多くの学生の面倒をみた結果。成果が出てすぐに学会で発表し、間髪あけずに論文を発表する。その流れができていた。それを再度着手するにはこんなにエネルギーがいるものなんだと、このところよく思う。
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