800記事ふりかえり:文章には年齢がおのずとあらわれるものだろうか
はじめに
日ごろnoteの文章をお読みいただきありがとうございます。
おかげさまでせなかを押していただけて800あまりの記事に。このいずれかをお読みいただいた方におたずねしたい。はたして文面からは何歳ぐらいのニンゲンが書いたと思われるものだろうか。
きょうはそんな話。
noteへむかう
日々、noteへ記事を投稿して、そののち時間に余裕があればいつものお気に入りの方々のあらたな投稿へ歩をすすめる。そこで日々かつやくされているみなさんのようすを知る。なかにはあらたにフォロー、スキ、コメントなどをいただく。こちらも感謝しかない。そうした方々へのお返事や応答を。
こうしてあらたにつながりをもてた方々の文章を読んだあとはやはりちらりとプロフィール欄に目をむける。フォローいただいている方だけでもさまざまな年代らしい。もしも年齢の分布をとれたとしたら、40代をピークに両すそになだらかに勾配がつきそう。おそらくこのクニの平均年齢(国立社会保障・人口問題研究所)とおなじぐらいにおちつきそう。
なかには読みながらイメージする著者の方とプロフィールに思いのほかギャップを感じたり、どこか「昭和」を感じさせる言いまわしの高校生だったり。それもおもしろいし、むしろそんなユニークなものを期待して読みつづけているのかもしれない。
さて、わたしのほうは
800記事をふりかえるとはじめたころは原文の表現を尊重しつつ手なおして再投稿したものがあり、もとの日時のものはくしの歯がぬけたようにわずか。ふるいほうが最近のものよりも年齢では上にみられてしまうかも。
数年のちがいだが文章にかたさがめだち、どこかぎこちない。その傾向はいまも抜けていないが、それでもまだまし。すこしは読みやすくなったようだし、脱力して書けていると感じる。
「文章年齢」はいかほどか
上に記した平均年齢は目標だがちょうど体組成計で表示される年齢でもある。気を若くもちたいし、そのくらいの年齢を意識した文章をめざしている。はたしてそのギャップをうめる要素とはなにか。実年齢がそのくらいの方々の文章を参考にさせてもらっている。
話はいきなり変わるが絵にしたしむほう。美術館で「いきおいのあるいい絵だなあ。」と思ったらじつは80代なかばの作家の作品と知りおどろいたことが。それから「いい絵には年齢を感じない」と思いはじめた。おそらくわたしがめざしたい文もそうで、目標はおなじ。
どなたもキーボードをまえにお仕事やふだんの生活のなかでせっせと文作りに親しまれている。このクニの言語をわがものとしてつかい、あやつり、駆使しつつ日々の活動にいそしんでいらっしゃる。
平均年齢になるべくちかづけるような文にしたいなあと、はずかしげもなく日々そのあとをすたすたと追いつづけている。
おわりに
やはり継続はちから(微力でも)ではないか。ほぼ毎日すこしずつ文をうちつづけていると、ほぼ思考のはやさで言葉を入力できるかんじがする。とりあえずベタ打ちして、2,3日放置したあと読みなおし、手を入れて投稿。
こうした習慣は昨今の状況で家にいる機会やPCのまえにいる時間がふえたのがきっかけ。迷いやなにかを手作業で文にあらわし、あたまのなかを整理してまえへ進む手がかりを得られやすくなったとかんじる。
その作業のくりかえし。これがその日の生活のリズムをつくってくれる。感謝しかない。
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