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ようやくつきとめられた実験室で行った信じられないできごと


はじめに

 長年この分野にたずさわるとたまに予想外のできごとに遭遇する。それはうっかりすると常識をくつがえしそうな現象として目のまえに現れる。

ときにはくりかえしおこなってもそうなることも。ほぅと声をあげるが、つづいて疑ってかかる。この世界は実験をつうじた客観的な結果や観察の積み重ねで成り立つ。そのため「変な」ことがおこるとひとまず深呼吸してから対処する。そんなあるできごと。

きょうはそんな話。

ある学生が

 こんなできごとがあった。酵素を生物から単離してさまざまな性質をあきらかにしていた。すでに卒論間近でデータ取りは佳境に。時間を惜しみつつひとりの学生が実験に励んでいた。

ある日、わたしのところに「じつは…」と訪れた。浮かない顔。「どうしたの?」とたずねる。「何度やってもこうなるんです。」と実験結果をしるしたみずからのノートをわたしに差し出す。

「ここと、そこはコントロール(対照実験のこと)なので値は上がらないはずなんですけれど、いつもサンプル値のあいだぐらいを示してしまうんです。」という。

つまりはうまくネガティブコントロールの値がとれないという。そこにないはずの「空」の試験管内に酵素が存在することになってしまう。これでは実験そのものが成立しない。もちろん卒論発表には使えない。まずはこの「現象」のおこる原因をあきらかにしないとならない。

再現する

 そこでどんな手順でその実験をおこなったか、1から話してもらう。ひととおり聞いたところ手順に問題はなさそう。すでに操作自体には慣れて練度はじゅうぶんのはずだし、方法や試薬類はほかの学生も利用するのでこの学生だけ起こる奇妙な現象はそこに原因はなさそう。

目の前で実験の一部を再現してもらい、結果をみてわたしは驚いた。この学生の言うとおり。とり違いや操作ミスのおこりそうなところをじっくり観察していたがそれらは皆無。一見するとふしぎな現象。試験管内の溶液は一見して異常にみえない。この学生に、分析に用いる装置のあつかいにくせがないかどうかまで見ていたがそれもない。

器具をうたがう

 そこでその周辺、つかう器具に目を移す。試験管やビーカー、ピペット類をいつもの手順で洗浄してつかったという。学生ごとにわけてつかうようにしている器具類。この学生だけその準備手順がことなるかもしれない。そこで一連の器具の取り扱いや操作についてたずねた。

ほかの学生にもここ数日、測定器具にトラブルはないか、器具やあつかう蒸留水、さらに洗浄の環境などに異常がないか尋ねたがないという。この学生だけとなるとやはり専用の器具を疑うしかない。

いずれも洗ったが

 つかった器具を学生とおなじ方法で洗い、乾かしたあとにおなじ実験を今度はわたし自身がやってみた。つまり学生とまったくおなじ方法で再現したにひとしい。

すると結果はやはり乱れた。ないはずの酵素の活性があることを示した。学生の主張する現象は事実といえそう。

おわりに

 さんざん操作してようやくたどりついたのが洗浄操作。なんとこの酵素は通常の水でうすめてつかう洗剤濃度では落とせないぐらい試験管のガラスとくっつきやすい性質をそなえていると発見。常識的にはありえないほど酵素の比活性のたかい酵素なので気をつけていたのだがそれをうわまわるほどだった。

もうすこし説明すると、学生はわたしたちが長年やって問題なかった洗浄方法であらったはずの試験管で実験していたが、酵素は試験管内に頑固にこびりついていた。そしてきれいなはずと思ってつぎの実験にこの試験管をネガティブコントロール用に使うと、値は酵素の存在を示してしまったというのがこのできごとの顛末。

わたしは酵素溶液をごく微量だけ試験管にとり、そのあと通常の洗剤と手順でいくたびか洗ったあと乾かし、おなじ操作で酵素活性を測定した。するとこの試験管内でしっかり酵素活性があらわれると判明。

この酵素の能力がいままでとりあつかったものと比較してあまりに高く、しかもガラスとの親和性が高いために、微量でも残存すると水でうすめた程度の洗剤や試験管ブラシでは落とせない現象がおこるとわかった。もちろん試験管の洗浄方法を変えると実験はうまくいった。いい勉強になった。


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