いつもスーパーに水をもとめて専用の容器をたずさえずらりとならぶヒトビトを目にして
(2024.11.18加筆)
はじめに
そんなに気にしているわけではないが、たびたび目にすると何だろうと思うこと。きょうはふだんの買いもので立ち寄る店におとずれるヒトビトのようすから。
きょうはそんな話。
おなじ店で
日ごろは地元のチェーン店、全国展開のスーパーさらに生協の店をよくつかう。そのときにほしいもの、時節柄たべたいものを中心に物色。後者ふたつのいずれも入口付近の一角に列ができている。おなじみの光景で気にせず横をとおり過ぎつつ、反時計まわりに回遊コースのながれのままにすすむ。
目的のものをかごにいれセルフレジで買いものは終了、先ほどの入り口が今度は出口。そこには先ほどとほとんど長さの変わらないヒトビトの列。わきを通り過ぎながら店を出て家にむかう。日常のなにげない買いもの。
はたしてこの列は
いつも気にすることなくこの列を横目で通り過ぎる。ならんでいるヒトがいたらほしいものでも食べたいものでもたいていあっさりあきらめてしまう。というより多くのヒトのそばにいたくない。昨今の状況以降その性向はますますはっきりした。
それにしてもそのヒトビトのようすからなかなか長さに変化なさそう。いつもそこには列があり、辛抱づよくほしいものを待つすがた。何をもとめているかぐらいはその容器サイズの大きさからあきらか。それは水。ふだんづかいのものだからこうしてみなさんもくもくとならんでいる。
気にしてこなかった
そうか水を手に入れようとなさっているのか。しかしわたしはなぜこれほどまでにおなじ空の容器(しかもおなじ!)を抱えていらっしゃるのかいちども考えてみたことはなかった。脇をいつもとおりすぎながら、それまでしてならんでほしくなる水とは?などと一度も考えてみなかった。
どうもその水自体はちょろちょろとしか容器から出ていないようだ。わたしがお手伝いする研究パートの超純水製造装置から出てくる超純水(なんと抵抗値は18МΩ)のちょろちょろぐあいとさほどちがいはない。列にならぶみなさんの抱えもつあんなに大きな容器を満杯するにはそこそこ時間がかかりそう。
なるほど
おそらく列にならぶ先の鎮座する装置から出てくる「何らかの水」の製造には時間がかかるようだ。だからあんなにならぶことになる。店全体ではそんなにお客さんが多くはなさそう時間帯でも、この水のコーナーだけは「いつも」、「つねに」ならんでいる気がする。
ふしぎだなとは思っていたが、あらためてこうして考えるともっとはやく流れ出るように装置を改良できないものだろうかとけっこうせっかちなわたしは考えてしまう。看板をみると容器が有料で水は無料なのか。う~ん。
これまで注意してみたことはなかったがここに引っ越すまえの何年も前からこの店を利用してきた。すくなくとも数年来ずっとこの列を作る状態は変わっていない気がする。これからもずっとみなさん列をつくるのだろうか。
おわりに
改良できてすぐに水道の蛇口のように吹き出て、すぐに容器をいっぱいにできたらよさそう。せっかちなわたしはそう思う。容器ねだんを多少高くしてもそんな迅速な装置のある店へとわたしなどはさっそくそちらに移りそう。そのあたりの値つけや加減がむずかしいのかもしれない。べつにヒトビトの嗜好にとやかくいうつもりは毛頭ないがやはり気にはなる。
これだけの長さの列を見ながらこれを扱う業者の方々はいつも目にする光景にちがいない。なぜ改良をすすめないのか、こうして列をつくるほど人気でありがたいものですよと宣伝効果をねらっているのだろうか。それとも…。今度はそちらのほうに興味が移ってきた。
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