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せっかく街中に移り住んだのだからさまざま享受していいものがありそう


はじめに

 ひっこして19日目。ようやく家から四方の道のつながりがわかりはじめた。するとそのまわりにはさまざまなものがあるのに気づく。歩きはその点はいってくる情報量と密度がちがう。ヒトの気配や生活感がよくつたわってくる。そのひとつひとつが新鮮に感じられる。

なかには興味がわいたり、関心をひくものも。たいてい用事がありそばをとおりすぎるだけ。「いずれたちよるからね。」と思いつつ。そういえばいまどきめずらしく駅ちかくに書店ができたらしく行ってみたい。長年くるまで信号待ちの停車のたびに横目で見つづけてきた公園で散歩してみたい。

きょうはそんな話。

郊外からみた街

 ここは郊外にながくくらしてきたなかでかかわりをもちつづけてきた街。こどもたちの通う高校のいずれもがここにあり、郊外から列車で通学していた。

わたしはもっぱらくるまで中心市街地の職場との往復。帰りにたちより日々の食料の多くをこのあたりで買っていた。田園地帯からひらけて各店の駐車場がゆったりと利用しやすい。買いもの袋をかかえて車にのせ、ここからさらに20分以上運転して家路に。

それだけでない。農業をしていたころはここに販売所のひとつがあった。何か所かある販売所のうちでいちばんあたらしくて大きい。できたやさいやくだものならばなんでもここにならべていた。よく売れる。みずから食べる自家消費ぶんのやさいに、ここで売るぶんで得た現金収入から生産の経費を差し引くと、ちょうどつつましく生活する費用をまかなえたぐらい。

この街は急速にひろがりつつある。それだけやさいの需要がみこまれる。ならべるよこですぐに売れていくさまからもとめているかたの多さを知ったぐらい。

病院も

 最近では父の病院の送迎。しごとだけならばもっとコンパクトなくるまでかまわないのだが、両親を乗せるとなるとそうはいかない。老いたからだにはゆったり気味でないと乗り降りがおぼつかない。

とくに雨の日にはそう。この病院の駐車場がゆったりして(それでもいつも混雑しているが)その点はたすかる。これが駐車場所に難渋しがちな中心市街地の病院ではそうはいかない。軽自動車でも停めづらい場所すらある。長い距離をあるけないのでここの病院をえらべたのはさいわい。

わたし自身も20年来、ここから歩いて5分のところがかかりつけ。いつでも寄れるようになったのも安心材料のひとつ。

関わりながら知らないまま

 ひっこしてひと月にも満たないが、こうしてふりかえると関わりの深い街といえそう。いろいろな機会におとずれていた。それにもかかわらず、ほんの家のちかくでさえひとつすじちがうととたんに目新しい場に感じ方角すらわかりにくくなる。まだみずからの足で歩いていないうちはこうなってしまいがち。くるまでそばを通るだけでは確実な情報として身につかない。

やっぱり歩きたいのだがこの暑さ。これさえなかったら家のまわりの把握ぐらいはしておきたい。

おわりに

 この街はどうやらわたしにとっては拠点にちがいない。関わりのあるどこへむかうにもつごうがいい。それだけだいじにしたいし、よく知りたい。

もうすこしすずしくうごけるようになったらさっそく川ぞいから歩きはじめたい。


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