過去にあれこれ模索しつつやったなかからひろいあつめて学術論文原稿にまとめながら思うこと
はじめに
研究サポートのしごと(ボランティア)で、ここ数日は自室にこもり論文書きをしている。冬休み中でなにもわざわざ研究室に出向き学生のサポート(冬休み中)はなし。もうひとつの学習サポート(こちらも流行り病防止のためリモート実施中)とともに自宅の部屋のデスクからやりとり。
いずれも基本的にどこでもできる。そのなかでぽっかりとあたまにうかぶこと。
きょうはそんな話。
じつにしずか
自宅の早朝。外からは基本的に鳥のさえずりしか聞こえない。いつもの街の喧騒が聞こえないのは年末年始でお休み中だから。日ごろはこの街なかではどこかかならず工事している。
昼日なかに部屋にいることはそれほどないが、けっこう種々雑多な音に囲まれている。たいてい建設工事にともなう槌音がほとんど。そこにヒトビトが活動するさまざまな音がまじる。
それが日常。ところがきょうはそれらの音がほとんどしない。ふだんは聞こえない階下やおなじフロアの部屋の方の物音がかすかにする程度。ご在宅なんだなとわかるぐらい。それもごくわずか。ほとんど鳥の鳴き声しか聞こえない。こうしてPCのキーボードを指でたたく音のみ。それにカラスとすずめの鳴き声、それにエアコンのコンプレッサーの音。
みずから出す音
けっこう、みずからの出す音が気になる。戸の開けしめは階下の方のご迷惑になっていないか、まわりとくらべて足音の発生源になっていないかそれが時折気になる。賃貸でおなじ建物で暮らすからにはもっとも気遣いせねばならぬこと。
学生時代・独身時代の賃貸ぐらしではできていたことが、しばらくのちの自宅住まいのあいだに気づかないままおろそかになっているのではないか。知らず知らずのうち、物音をついうっかり出していそうでつねづね心得ておかないと。
こころをおちつけて
そんなしずけさのなかでせっせと学術論文の原稿をつくる。これならば物音をほぼ出さずに済む。さて、この論文。どのタイミングでまとめあげてひとつのかたちにするか。それははっきりいって定めがあるわけではない。みずからの権限でありそれはまかされている。
3つほどの草稿づくりを並行してすすめる。理由はひとつをやりつづけると煮詰まったり、頭が飽和したりでまとまらないから。それらをとっかえひっかえしながら、いまでできる範囲のところまでをひとくぎりとしてまとめていく。
いやまだまだだというヒトもいれば、一方、べつの方からはとっくのむかしにしあがっているじゃないとおっしゃる。こればかりはどこを終結点とするかわからない。同音でも「集結点」といったほうがしっくりくる。あつめられるだけあつめて、そのなかで明確な結論をひとつ言えればいい。そう思えばとたんに気が楽になる。
題名は
そのとたんに論文の題名がおのずと決まる。その手順を経て得た結論をさらにエッセンスとして一節で言い切ったものになる。
じつはこんなにするするとはいかないもの。ああ、これが弱いとか、ここはもうすこし補強しないととなるとまだ1報にするには早いのかもしれないとあれこれ苦吟する。堂々めぐりも多い。そんなことをレフェリー(査読者)はお見通し。
言い方はよくないが、すかさずそんなところをまちがいなくつっついてくる。そうならないようにそこを補強すべくまたもや実験をつづけることに。だからなかなか一報にまとめあげるのはむずかしい。
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