見出し画像

「三ちゃん農業」すら理想的でうらやましくなる70歳以上で親を介護しながらの農業

(2024.12.9加筆)

ありがとうございます

はじめに

 いまやこのクニの農業をささえる層は70歳代に到達しそうないきおい。農水省の令和2年度のデータではすでにそうなりつつある。全体の70%以上が65歳以上。

農林水産省「基幹的農業従事者」より引用


またべつの資料では5,60歳代で離農してしまう(わたしもそうだった)ようすを分析。

日本総合研究所 JR Iレビュー 2024 Vol.6, No.117 p.66より引用

この年代は子育てをようやく終えつつありやれやれのはずだが、すぐに平均余命の伸びた親の介護などがまったなしにやってくる。からだへ負担のある農業は老いがすすむと骨の折れるしごとにちがいない。とはいえさらなる機械の導入や、設備への投資は悩ましい。先々衰えるばかりのなかで農業経営でローンを組むのは難しい。

きょうはそんな話。

新規就農とい

農業振興といいつつ

 若者がいろいろなしごとに就いてみるなかで農業の選択があってもいい。若いなりに合わなければさまざま柔軟にほかの道もえらべる時間的余裕がある。

一方、シニアとなるとなかなかそうもいかない。柔軟に対応せよとはなりにくい。すでに家族をもち子育ては終わりが見えつつも、親の介護は直近の課題。みずから立ち行かなくなることも考慮に入れ、その準備もせねばならない。

農業をはじめよとか、せめて70、80歳代までつづける前提で周囲は話しているし、一部はすでにそうなってしまっている。せめてシニア層が離農しなくてよさそうな環境づくりを進めたいし、モデルケースになるようなうごきを模索したい。

離農の理由はさまざま

 どうしてもシニアの時期は「自分じまい」をする先々を考えがち。子の世代に迷惑をかけてはならないとあたまをよぎる。なんとか自己完結したい。みずからの介護が必要なころにはどうも落ち着くさきがなさそうで場所によっては難渋しそうだ。

そのなかで繰り返しになるが、どこからか「農業をつづけよ」とか「まだはたらくべき」とじかに聞こえるわけではないが、無言の圧のようなものを感じていた。集落ですでに片手で数えられるほどしか従事していない。

声を受けて

 声援に聞こえるうちはいいが、よくよく考えると夏の炎天下や冬の凍る土をくわ1本で耕しなどからだを酷使しながら「なんでこんなことやっているのだろう。」とふと思う。

やめる理由はいくらでも出てくるだろうし、つづけるかどうかはもはやみずからの意志で決めればいいわけだが。

将来は

 このクニの農業はどうなっていくのか妄想すると…。

 もはや先祖代々、農業を専業でつづけるヒトを見つけるのは困難になり、技術を身につけた外国から来られた方々が経営する農場で、周囲の70歳代以上のこのクニの方々があくまでも個人事業主の形態ではたらく。なかには90歳に届こうかという従業員も。最低賃金で交通費などの支給はなし。給与のかわりに一部は市場にだせない作物の現物支給。

 つかう農具や作業着、かんたんな機械などは従業員各自もちで、それらの購入は経営者の母国の提携品にかぎられ給与から引かれる。個人の農具をすこしでも長持ちさせるための手入れなどはサービス残業。戦前の小作人のようすを想像してしまう。いちばんできの良い作物は経済的にうるおうクニへと運ばれ、のこりものを国内でぎりぎりかつかつで消費。

現実に還ろう。上は私見にすぎない。どうもそんなにはずれていないかも。経済の原則やきまりごとの枠内とかけはなれたところで行われるのではと危惧する。

おわりに

 あまりこれから起こりそうなこととして直視するのはしんどい。そうしない・ならないためにはすでに遅いかもしれないし、現実はここに書ききれないほど硬直化し岩盤は厚い。せめて若い農業への意欲のある方々のきもちを削ぐことだけはしないでほしいと心からの願い。


こちらの記事もどうぞ


広告


いいなと思ったら応援しよう!