長年つづいたインスタントコーヒーの習慣からついに逃れられるか
はじめに
酒・たばこをたしなまない。つきあいで飲む程度。コーヒーは1日1杯だけ昼食後に。1杯だけなのでできればレギュラーコーヒーを豆から挽いて淹れたいがそうはいかない。ストックのインスタントコーヒーがあるから。
きょうはそんな話。
いただきもの
職業柄か贈答品をいただく機会がある。取引先のかたからちょっとしたものをあいさつがわりに、あるいは出張の機会の手みやげとして。長年いただき恒例となっているのがインスタントコーヒー。
どういうわけかわたしのしごとの業界の方々にはコーヒーを口にする方がめだつ。テキストの仕入れ先に伺うとコーヒーをごちそうになる。ここのコーヒーマシンは本格的でしかもおいしい。仕入れ品の車へ運び終えると、いつものように「どうぞお飲みください。」と出していただく。そこで社長と世間話や最近の情報を仕入れる。
インスタントで
ぜいたくはいわないほう、のはず。それでも先日避難先にしたホテルの朝食バイキングで提供されたエスプレッソは香り高かった。あんなコーヒーがうちでも飲めたら…と手もとのインスタントのコーヒーびんを見つつ思う。
3日間に一度、いや1週間に一度でいい。豆を店でえらんで挽いて、馥郁としたかおりをたのしみつつ湯をそそぎながら淹れる。なかなかゆったりと好きなはずの淹れる操作をやる機会が訪れない。せっかく道具をもっているのに。
かれこれインスタントコーヒーをいただくようになり何年になるだろう。まわりにおすそわけするのにびんはなかなか減らない。1日1回飲む習慣はこうして身についた。
今年度でおしまい
ことしで20年の学習サポートもようやく最後の生徒たちの予定。もうしばらくはやれそうだが、このところ「徳川家康」の名前すらすぐに口から出てこない。やはりあたまが消耗しているにちがいない。
発達ざかりの中・高校生と対峙するのはなかなか。とはいえもうひとつのしごとの研究パートで学生や院生と専門の話に加わり、お手伝いするのだからわたしの行動は矛盾に満ちているかも。ただし大学生相手なら専門用語を忘れても、「ほら、あれ」で済ませられる。
ほぼおとなの大学生たちのほうが素のままで接しやすい。おそらくわたしはこれまで中・高校生に合わせようと、「母国語」でなく「外国語」で接していたのかもしれない。
歳を重ねるにつれてそれはつらくなるし、相手の十代なかばの生徒たちとも年齢が乖離しつつある。おそらく口ごもったり、「なんだっけ」を連発したりのポンコツのわたしに年長者ならば合わせてくれるにちがいない。ここらが潮時。
コーヒーを飲みながら
大学生や研究者の方々はいわば同郷人。おなじことばで話がつうじる。とても気楽。はたからご覧になると、やはり変わった世界のやりとりかもしれない。だんだんとそうした言葉づかいやテクニカルタームが飛び交う。
かといって世間話をしないわけではない。コーヒーを手にしつつ香りのなかでくつろぎながらアイデアをあたためる。むしろこうした一種のゆとりの状況をいかに築けるかのほうが本来あたまにとっても、しごとの充実にもたいせつなのだが。
そのためにわたしの「燃料」となるコーヒーはせめてもうすこし香りのいいものを選びたいのだが…。
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