はたけをつくっていてたまたま豊作になること:今回は白菜だった
(2023.12.17加筆あり)
はじめに
これは7年まえ。日記をみるかぎり暖冬だったらしい。12月のあるやさいが豊作だったと記してある。何倍もの失敗をくりかえすなかでのようやく得られためぐみ。
きょうはそんな話。
いちばん端のはたけでは
ひさしぶりに畑Cに一輪車を押して上がる。あたたかだったせいか、ずいぶん野菜が大きく育っていた。
ほんのすこし収穫したつもりのやさいたちを一輪車にのせたところで気づいた。すでにけっこうな量。どうにかのせおわる。車をつかえばいいのだが、それほどはなれていないのでかえって車を出すのがおっくう。ずぼらが顔をだす。むだにガソリンを消費しないで済む。
山盛りの一輪車をひっぱりぎみで坂をくだり家に帰ると、畑で見たときよりも台所であらためてはこんだものに目を向けるとひとつひとつが大きく見える。とくに白菜は大きくなったので、これを食べきるのには何日かかかるのはまちがいない。
さっそく食べる
なべにすると白菜の葉っぱを何枚か入れただけでも土鍋が一杯になりそう。大根は病気がはいってしまった(最近流行がはじまったらしい)。ニンジンはこれまたおどろくほどよくそだち豊作。
収穫してもあとからあとからふといニンジンがとれる。おそらく肥料のとりあいをしているのだろう。しかも色が濃くて香りもよい。ニンジンは春まできらさないように、4回ぐらいにわけて種まきをしてある。
複数が順調だと
いまのところ白菜とにんじんがよくできている。こんなふうに複数のやさいができる年はほっとする。年によってはいずれもいまいちだったり、なかには店に買いにむかわないとならないとときすらある。
天候によってはできないのがむしろふつうで、豊作はあくまでもたまにあるできごと。山からあつめる腐葉土ではそんなにたびたびできるほうがおかしいと思う。むしろ山のようにゆったり時間をかけてすこしずつもらえるぐらいでちょうどいい。
豊作のほうが
たくさんできるときのほうがたいへん。どこにくばろうか、どうやって保存しようか、料理しようかとあたまとからだをフルに回転させねばならない。
これがけっこうなやましく、店に山盛りだすのはまず無理。豊作はひとりにだけおこるわけではなく、たいていおなじやさいをつくるヒトビトに平等に訪れる。つまりは店におなじやさいがならぶことになりがち。それでは見てくれのそろわないわたしのやさいはとくに売れない。
このへんがやさいづくりのむずかしさ。
おわりに
豊作はうれしい悲鳴のほうかも。順調に生育してさあ収穫をはじめようとはたけをみたとたん、はたけじゅうが動物に荒らされるというのよりはるかにいい。数日は立ち直れない。
はたけ相手でもけっこう心がゆさぶられてしまうもの。
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