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毛糸の帽子をかぶるとあたたかいということは…

ありがとうございます

はじめに


 このところ外出するとあきらかに先週よりもさむい。そこでしっかり防寒する。手袋にマフラーはいつもどおり。それにくわえてもうひとつ。ずいぶんあたたかく感じる。

きょうはそんな話。

ことし1番のさむさらしい


 たしかに間違いない。玄関を一歩そとに出るとまちがいなくさむい。これはしかたない。ことし1番らしいからまちがいない。それ相応に着込んでいても歩きはじめは北風が身にしみる。

歩をすすめるにつれ、すこしずつからだ全体があたたまりはじめてようやく首から肩にかけて余分な力をかけていたと気づく。からだを小さくすぼめていたに違いない。

動きさえすれば


 こうしてからだを使うと熱が中から出るので、いつのまにか外で無理なくすごせるが、それは陽ざしの助けや風がない場所のおかげ。ひとたび雪が舞い、北風が到来するとそうもいかない。ふたたびからだが芯から冷えてしまう。よけいに早足になりあたたまろうとする。

従来の装備では上半身、とくに頭がさむいとわかった。このところどういうわけか帽子をかぶらず外出していた。夏でもそう。陽ざしが強かったはず。なぜかかぶることに思いが至らなかった。

さすがに


 きょうの外出はそうはいかない。一段とさむさがちがう。さすがに外気に触れると耳が痛いほど。これは覆わないとならないと、玄関先に出かけて一旦舞いもどり毛糸の帽子を持ち出した。耳をふさぐようにかぶる。

歩きはじめて耳のまわりを覆っているだけでこんなにちがうものなのかと気づいた。しばらくぶりの感触。さすがに毛糸だけのことはある。ふんわりと覆うので音は聞こえやすい。これならば車などの音はしっかりとどく。

見直す


 帽子を温かに感じるのはわけがありそう。それだけわたしの頭上がさびしくなりつつあるのも大きい。むかし飼っていた犬も冬毛はあたたかそうだった。きっとこの程度の髪の毛では保温効果は小さいのだろう。年々手をあたまのうえにのせると、あきらかにてっぺんのかたさをそのまま感じやすくなってきた。

髪がそれだけ心細くなってきた証拠。なるべく鏡にうつさずに済ませてきたつもりだが、最近はそうはいかない。

見たくないもの


 職場のエスカレーターにはななめ上の位置に鏡がすえつけてあり、わたしのはっきりしたつむじを否が応でも「見なさい」といいたげに映しだす。こればかりは年相応になってきたとあきらめしかない。どうあがいても本数は減るばかり。せめて均等に薄くなってくれないかなと淡い期待を寄せているのだが。


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