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いつもいつも料理したい人がいますか?

👨👩ホームシェフ 

◆誰が作ってもいいじゃないか!
料理の先生がいいます、いつもいつも料理したい。そんな人はいません。みんなちょっとだけ頑張ってつくってくれているんです。
昔はおうちの料理を、おふくろの味と言っていた。ほぼどこの家も母親が料理を作っていたからで、手軽なインスタントや簡便な味付けの商品が次第に出回り、袋の味と言ったりするようになっていった。
その話しぶりも男目線と叱られそうだけど、言葉としてそんな感じだったのだ。
しかし女性だけが台所に立つ時代は完全にシフトしてきていると思う。オトコでもオンナでもどっちでもいいように思います。
ただ、まだまだ過渡期ですので、エプロンなども女性用がほとんど、男性用は少なく買いにくいですよね。時間はかかりそうです。

◆料理上手よりも信頼関係
よく言うでしょ。結婚するのに、料理が上手な人がいいとか。ならば、お料理が上手だと離婚しないのでしょうか。まったく関係ないでしょ。また、最初から相手に100%料理上手がいいなぁなんていう思いは依存なので、あまり上手くいかないと思います。
家族が幸せであるために、楽しい食卓、食事は重要だと思います。そこに人間関係の、生活の、接点があるからです。
でも、作ってくれた人が信頼できる人なのか?これはもっと大事でしょう。

危険な食べ物が入ってないかを知っている、というような食材の最低限の知識であり、人として人を気遣い合う関係があるのか?というようなこと。

おひとり様の方は、自分を信用できますか。できるなら。間違いない自分のホームシェフでしょう。選択肢はないですよね。

◆担い手への信頼と感謝
おうちご飯を作るひとを、ホームシェフということにします。今はおふくろの味でもないし、おやじでもばあちゃんでもじいちゃんでもいいよね。息子や娘が家族のご飯作ってたりもするでしょう。
それぞれの家庭に合わせて、加工したものを含めて、いろいろな食材を工夫する。
そうやって食事をつくっていったらいいと私は考えています。
そのホームシェフが、なぜに自分や家族や。。それぞれあるだろうが、作るのか?

人は食べないと生きていけない。現代はおうちで作らなくても生きていけるだろうに。
たしかに、食べることに対しては意味を考えるが、作ることに対しての意味を考えたことがあるだろうか?現代では、いつでも、必ず、作らなければいけないというような脅迫てきなワードは除きましょう。
どうしてもシンドイ時やごめん無理というときあるもんね。外ですませたり出来るなら乗り越える気持ちでいいじゃない。

作るということは、人と人の距離の関係です。
相手の体調や気分を理解し、時には叱咤激励し、ときには慰め、そういう生活の一端を担ってるのが食事でしょう。外部委託できる人は、その人、その会社を同じように信頼できるのですか。ビジネス以上の近しい距離感なんです。2キロ太ったことを分かってくれますか?心配してくれますか。その関係の距離に集約できるのです。お医者さんやトレーナーも心配はしてくれます、しかしその人の心を使って心配はしてくれません。気が持ちませんよ。
ホームシェフは、ウザイ存在であり、仲間、同志であるはずです。

この関係性というのは、うまくいかないことも日常茶飯事です。
その食事を通じて相手を思う感情をシーソーだったら片側に寄せていつも負担を強いているからです。その思いを食べる方が、どう反応するのか?
下がったシーソーは次に自然に上がるもの。だから楽しいのですが
ガタンとさがったまま動かないシーソーに楽しさの欠片もない。
それぞれが、「おまえのせいだ」となってしまうこともしばしばですよ。
言いたい事はどちらにもある。当たり前です。生きてるんだから。

作り手は最善の食材と調理法を選択し、相手の趣向を理解し一回の食事を作っていく。
食べる人は、それに見合う感謝の意と喜びを表現出来るもの。そういう同志になってますか。

なっているなら満点家族。でも多くは難しい。家族にも栄養が必要ですものね。栄養が足りないのです。
例えば生まれて数か月の赤ちゃんがいるとすると、キャッキャと笑ったら、笑ったよ。このコって。夫婦で喜ぶでしょう。何でもないけどわが子の表情という成長を喜びますよ。

それで二人の気持ちが共通になりますよね。食事の雰囲気にもつながる。。。

ところが、忙しさに流されて生活していたら、おうちの食事が美味しくて当たり前なんて、ほんとに簡単ではありません。メニューの選定から食材の手配、おうちの在庫調味料に至るまで把握するのは大変だからです。その他の家事もいっぱいある。時間もない。
簡単に作らないとというおばけに取りつかれます。フレーズだけが一人歩きするのです。

実は自分が簡単なものと言っておいて、家族には見栄えがして、豪華に見えて自分の作業だけが簡単なものなんです。それ、かなり都合よくないですか。だから複雑になっていて、そこから動けなくなるのです。品数を減らす。単品をしっかり作る方が全然よいのです。


◆シンプルでもいい、地球にも感謝して
一汁一菜大いに結構です。
大好きです。汁は野菜をたっぷり入れましょう。
野菜炒めにお汁ならお汁はシンプルなものでもいいじゃないですか。
難しくしているのは、頭の中の思考そのもの。今、余裕がないだけです。

少し間を空けたら、子どもが小さかったときと同じように共有できる意識。
難しい場合は、ペットや栽培している植物があればそれもいいでしょうし。
それさえも難しい場合は、自分を気遣いましょう。自分と食材が同調しあう
自分の好きなものでいいと思います。少し息抜きしていいじゃないですか。
あなたが作りやすいもの。最近作ったものでもいいんです。

どんなシンプルな料理でも、簡単ではないのですから。かえってシンプルなものが安定させるには難しいと思います。

簡単かどうかはあなたの考え方次第でしかありません、
そうかもしれないし、そうでもないかもしれない。

◆家族思い(視点)が近すぎると、「何のため」が見えなくなる
ホームシェフは、家族との関係が近いから、自分のことをわかってほしいしのです。
メニューに関しても「何がいい?」悩んで精一杯で聞いてしまいます。
とても優しさの現れなんですが、
しかし、この聞き方がよくないんです。
「何でもいい」と返ってきます。
「何でもいい」がダメな理由は、食事に関心がないということです。
食事で悩んでいるあなたに、家族を考え悩んでいるあなたに、
無関心という返答が来ているからです。
だからこころに余裕がないとき、思っている答えが返ってこない時でも
かわせる余裕があるときしか、聞いてはいけないんです。
「何がいい?」聞いたとしたら、来るぞ来るぞ例の「何でもいい。」が
と心に余裕があれば「はい、来た!何でもいいね」と楽しみましょう。
毎日「〇〇がいい」と献立を提示する人も、台所事情が分かってません。
これはこれで腹立つでしょうね。
何のために作っているのですか?家族をいつも優先しているはず。


素麺でラーメン

自分も家族のひとりです。
日々の献立で悩み切っているときは、聞かずに、自分の好きなものを作りましょう。
おうちであなただけが、ホームシェフなら他の家族は悩んでいません。
あなたがスキなものだから、そのメニューもあなたがスキなんです。それは他のメニューよりあなたは上手に作れます。おいしいのです。
また、家族が好きなメニューもいいですよね。そのメニューを使い切ったから悩んでいるかな。
では、もうひとつあなたの好きなメニュー増やすようにアイデア探しで、お食事にでもでかけましょうか。悩まないようにね。分かるから。

何でもいいと言われて、「わかった。じゃ何か作る」となります。冷えるよね。一人悩むのが煩わしいからよ。
孤独感、閉塞感があります。作らないといけない環境があったとして言われたら嫌だなということはしてはいけないですよね。

そういうときは、食材が何があるのか。どういう料理が食べたいのか、和食なのか、洋食なのか、中華なのかとか、ヒントと作り方。レシピをさがしてあげるとか。会話のなかで、気持ちの一体感こそ必要なときですよ。
もちろん関係がすでに冷えていたら無理です。

逆になるときは、あなたがそうしてあげてくださいね。

ホームシェフは、無給の専属シェフではありません。
キャッシュレス(電子マネー含む)なだけです。お金じゃすまないということ。
たまに自分のできる腕を振るってあげるとか、(普段片付けまでしてもらっているなら、片付けまでしてあげてください)普段キッチンを使わないなら、相手の思う片付け方でキチンと片付けてあげる。それは次に使いやすいようにしてあげるための
片付けであるべきです。それはあなたが、相手に料理することに似ているから。

実はね。あなただけが、お料理をし続けたら依存状態が高くなったのかもしれません。
「何でもいい」という答えが出てきたということは、ずーっと何も考えなくても食事が出来る状態にしてませんでしたか?ヒントが欲しいなら「献立のヒントくださ~い。」
とお互い素直に言い合える関係がいいですよね。黙って食べてくれていた人も無償のコメンテーターではありませんので、あなたが食べてもらうためにお呼びした招待客なのですから。
自分で食べておいしいと思えるものをお出ししましょう。これもキャッシュレスです。


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