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レシピは処方箋、ガイドはてびき。


レシピ(処方箋)じゃなくてガイド(ギード・参考書)

◆まずは読み物と思ってほしい。
レシピでうまくいかない話、ちょっと前にしましたね。今回はちょっと付け足してお話しましょう。
レシピで作れば、誰でも出来るという伝え方が違ってると思います。
さぁ!何作ろうかな?とエプロンまで着けてタブレットなどを見ている。
そう初めて作りはじめるときにレシピを見はじめているんです。
作ろうと思うメニュー、作り方をまずゆっくりしているところで読んでほしい。へぇ~なるほど。そういうことね。大事なことはココ!なのね。。。イメージを描いてください。

レジェンドの料理本を紹介しましょう。
かの有名なフランスの料理家で近代フランス料理の父と呼ばれた。オーギュスト・エスコフィエが書き残した料理書で、『LE GUIDE CULINAIRE』があります。
 (1902年、初版。柴田書店で翻訳1969年初版)
とても有名で、伝統的フランス料理をまとめ上げています。開発、原案、創作を含め
貴族などのお抱えの料理人が職業としての料理人となり、在野に一つの世界を作りあげていく時代。日本では天皇の料理番の秋山徳蔵。食を重んじるフランスを考えると
韓国のホジュンに匹敵する栄誉と功績ではなかろうか。
10㎝を超える分厚い辞典ですよ。まさに研究の読み物でしょ。

一般的にレシピという言い方で料理の作り方を説明しておりますが、以前お話したように
その料理をこしらえた人の過去の1ページですので、このガイドと呼ぶ言い方がほんとにしっくりきます。

確かレシピ(recipe)とは、ラテン語から来ていて薬を調合する際の処方箋なんです。
だから、材料の〇〇をAグラム。××をBグラム。△△をCグラムと混ぜわせる。〇〇分煮出す。というかそれくらいのもの。まさに漢方薬局でその薬を量り売りで買って、薬缶で煮だすようなもの。まさに魔女の物語のようです。古い文献からこの言葉を選択し、
料理にも使いはじめたんです。イタリアのローマ時代のものだと思います。
なぜか、これを料理の作り方と言い続つづけています?いささか疑問が沸きます。行程しか書いていないのです。

◆料理という言葉の意図
 ただ、量るという行為は、そもそもの料理という言葉です。「料」とは
ものをはかる。「理」そのことわり、おさめる。道理であるということ。
なので意味としては、一理あります。どのようにはかるのか、手ばかり、目ばかりも含めて、料理するときに感じていくことになります。
ここで重要なところは、料理レシピが本来の意味の「はかる」ことから離れ、その制作過程を正しく伝えられるものであると誤解を招いていることです。

一言だけ言っておきますけど、量るのが苦手で超適当に調味料を入れる作り方でおいしく作るのが天才とかいう表現。それは作り話の世界だけです。その人だけがわかる。カップや茶わんとか容器のメモリなどあるかもしれませんが、どこかで何かで量っているんです。触れる触感やお湯の沸いてくる表情なども含まれます。だから量ってないのではなくて、上手く説明できないので、テキトウと言っているだけなのです。

江戸時代でさえ、日本の料理書と言われているものも、材料が列記されているだけのものなんです。今のレシピは、切るということでさえ、桂むきから乱切り、イチョウなど言っていますけど、切るものはすべて包丁です。大根包丁します。ニンジン包丁する。となれば、食べてくれる方が、どのくらいの年齢で口の大きさや咀嚼能力にいたるまで、違うかを作り手が意図するしかないもの。大きさ、切り方でよいものなのです。「切りました」と言っているだけのレシピなんです。現代のレシピとその細かい説明は、その切り方が正解なのか、不正解なのかと心配してしまいます。どうしてこんな伝え方になってしまったのでしょう。

大切なのは、料理人の意図なんです。当然その対象である。食べ手が存在するということ。料理書のなかの、その食べる人があなたではないはずです。だから「どう切るんですか?」「なんでそう切るんですか?」と質問するのはナンセンスなんです。そこを勉強してください。どう切った方がいいのかをあなたが食べる人のことを考えるしかないのだから。
切り方の意味を理解すること。
もちろん、そこが分かりにくいからと、ひとつひとつ切り方や煮る時間の説明調に作り方は発展してしまったのです。理解そのものを置いてきちゃった。




◆便利さは「面倒くさい」は残ってる、興味を持てば「面倒くさい」を超える
長い時間かかる、作る人の考え方などの講義が省かれ、ノウハウばかりの話になってしまった。現代の悲しい状態と私は思っています。簡単便利は、伝わらないんです。

結局同じものが出来るだろうはずの丁寧なレシピが出来上がったのに、調合配合されたさらなる便利なたれや、カットしてある野菜や、冷凍物などどんどん発展しているので、調理技術があがるころには、技術があろうがなかろうが、もっと便利な商品で電子レンジでチャーハンや唐揚げが出来てしまう、なんてことでしょうか!驚きです。しかし、そういうものによって料理が動かされているんです。たとえば、カット野菜に合わせた煮炊き時間やメニューになってしまうんです。たれに合わせたメニューや作り方ができてしまう。
料理を学ぶ意味を見失ってしまいがちです。にもかかわらず、手づくりしたものの方がやっぱりおいしいと判断する人もいるでしょう。

そういう意欲が残っていても、今のレシピでは、結局行程しか書いていない。あなたの能力をあげるためには、考える作るための基礎的情報を勉強しましょう。基本的技術を身に付けましょう。包丁を研ぎましょう。箸をちゃんと持ちましょう。姿勢に気をつける。外から見てもあなたが美しい料理を作る人となることが、美味しい料理を作れます。

◆デジタル進歩をアナログで補填する
 料理を取り巻く世界観が食べやすくするだけに限らず、芸術性、アートなところまで今は広がっています。また、伝達情報として、文字よりも声よりも、動画が優れている。そういう観点から、現在は動画レシピが主流になっています。

ここまで進歩してきたら、実は動画を見ながら料理をするって、新聞読みながら自転車乗るくらい危険で難しいと思いませんか?肝心なところをストップさせ、動画でチェックしながら作るなんて神技でしょう。だから結局は見て記憶させ、調理する際には、メモなど必要になりはしませんか?アレクサでみなさん指示してできるのかしら。私持ってないのでわかりませんけど。
一般的には、そのメモがレシピ(ガイド)としては優れているでしょう。

動画はとても作業を表現伝達することに、長けています。しかし、端的に表現するものではなく、それはプレゼンのパワーポイントの方が優れてませんか結局文字情報のアクションをつけたカタチでしょ。それを自分の頭の中に保存することこそ大事なんですよ。
作業には意味がある。意味がないことにはそんなにこころをつかわなく
てもいいんです。料理ビデオをよく見てらっしゃる方のなかには、一から十まで手順の方を優先する。それはその料理で完結して、応用が効きにくいし。また見ればいいと思いますよね。それは動画を見る能力を上げているだけです。

要は見た目や切り方に至るまで同じようにしようと時間を使い過ぎたり、また逆に強引に投げやりにすればどうなります?やはり動画も上手に見て感じて取捨選択しなくてはいけない。
大事な事をできるだけ短い言葉でメモに残す。頭の中に手順だけは、入れておきます。自信ないときは、さっと見て構わないですよ。やってみる事がスタートです。ほんとはどの部分が大事だったのか、後で再確認しよう。

◆理は道
またさらに、料(はかり)理(おさめる)ことからも
意味がはかることなのに、何をはかることだと思っていますか。
理とは(みち)ともいいますよね。道と同義です。よく言う柔道、相撲道、剣道、合気道、仏道などの〇〇道とはそのそれぞれの世界から人生の教訓であるとか、生き方そのものを教えていただき、精神の修養であり、研鑽を重ね人格を高めていくこと。何の世界でも人につながって行きます。まさに料理道。

学生のころ、教科書を理解するための参考書のことを、ガイドって言ってましたね。教科ごとにありましたよね。その内容の説明を補足してあり、問題集もあったりしました。まさにその料理を理解するための良きアドバイスと是非作りたくなる問題集(後押し)はガイドそのものではないでしょうか。

これからは、レシピというよりガイドにして、その意味意義をレシピに問えば、その作り方ということを超えて、人や自然への気遣い、調和なども考えていくことになるでしょう。料理を学んでいくということは、まさに豊かな人生の指針ともなると思っております。
レシピでおいしいものが作れるんではなく、あなたがおいしいものが作れる
人になるためのガイドをうまく活用ください。



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