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なぜ偉人と呼ばれる人は古典を誰よりも読み込むのか?
結論からお伝えすると、
古いかどうかってのは結果論であって、
実際には、そこはそんなに重要じゃないんですよ。
古典というのは英語で言うと、
クラシックっていうふうになるんだけど、
クラシックってどういう意味かっていうと、
1級品って意味です。
特別優れているもの。
そういうものがクラシックって呼ばれるんですよ。
だからクラシック音楽っていうのは別に、
その古い音楽って意味じゃなくて、
特に優れた音楽っていうことです。
では、特に優れている基準は何ですか?って聞かれた時に、
僕の答えとしては、
歴史を超えるっていうのが1つの条件です。
いつの時代でも、
どこの人も感動するから、
クラシック音楽なんですよ。
いつの時代でも、
どこの人が読んでも学びになるから、
古典的名著と呼ばれています。
歴史を超えるってことは、
ある程度年代経ってみないとわかんないから、
結果として古いものが多いけど、
古いから古典なわけじゃないんです。
例えば哲学書だって今、岩波文庫とかで、
たくさん古典と呼ばれるものが翻訳されて出版されてるけど、
その何倍何十倍、何百倍何千倍の本があったわけですよ。当時。
でもそれらの膨大な古いだけの書籍は消えています。
要は古いだけの本なわけで、
歴史を越えるだけの価値がなかった。
僕も少ないながらも古典を読んでいますが、
古典を読んだら学びがありますかという質問を受けることがあって、
ぼくはあると思っていて、
それはなぜかって言うと、
クラシックだからなんですよ。
それが歴史の淘汰を乗り越えてきた。
言ってしまえば、
生き物で例えたら最強の生き物だと思ってるわけです。
あらゆるライバルに打ち勝って残ってるわけですから。未だに。
だからぼくは読んだ方がいいと思うし、
例えば新しい本の中にも将来のクラシックになる本はあると思います。
だけど、それに出会える確率は極めて低いと考えていますし、
何十万冊出てる本の中から、
せいぜい1冊ぐらいだと思うのです。
特に最近だと、その出版のスピードも速いですからね。
その影響もあって編集のクオリティも低いし、
編集者と呼ばれる人たちの力があんまりなくなってきています。
その中で将来のクラシックに出会う確率ってどうですか?って聞かれたら、
これでは無いと思った方がいいと思うんですよね。
だったらもうクラシックになったものを決め打ちで読んでいった方が絶対に早く名書に出会えると僕は考えています。