自分に呪いをかけた人に
「あなたには、出来ません」
こう言われて諦めたことはありますか。私の母は諦めたそうです。言った方には、また別の呪いをかけられた経験があることが、ぼんやりと見えています。
人をひとつの全体として見ることが、調和的な世界の特徴だとすれば、
自由で平等で、自己確立した、一定の行動規範を揺るぎなく持っている個人を、想定することもできます。見方による齟齬が、苦しいのが、私だけかもしれませんね。
乗り越えられないとき、相手の中に、かけられた呪いの部分を想定することで、息がつけたことがあります。
呪いってなんだか、名前のないものに名前をつけているみたいですが、もっというと、痛みとか、苦痛、といったものです。
大国主義のようなものも、どこかに、呪いをかけられた要素があると考えます。呪い、ではなくて、痛みと苦痛、かもしれません。完成した個人を見る限り、痛みと苦痛を解く要素は、見つからないので、不完全だと考えてみる。
被害者意識とは、一種の痛みですが、私の呪いです。
信頼のない世界で生きて、何も作らないか、人からの信頼も受け取らないか。
信頼の記憶は、消えている場合があります。
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