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仕事の自己評価と「先に与える」を考える

2021年は、私が社会人になって20周年の年です。
今は「正社員として組織に属する」ことに抵抗があるので、派遣社員として企業にお世話になりながら、個人事業主としての活動を細々としています。

最近、「仕事の自己評価」について考えることがありました。

私自身、仕事の自己評価が異常に低いです。今はだいぶ自己評価が出来るようになりましたが、以前は他人が認めてくれていることも「全然出来てないのに、評価される意味がわからない」と思うタイプ。仕事のキャパが広く、たくさんの仕事量をこなし、先回り・先に与えるように動いているのに自己評価が異様に低いなんて、どれだけ自分に対するハードルを上げていたのかと今では思います。

この「自己評価」について考える時に、私にはどうしても気になる過去の先輩の発言があります。今日は先輩の過去の発言から、「自己評価」と「先に与えること」について話をしたいと思います。


こんなに頑張ってるのに!

先輩は私の一回り上の独身女性。
入社した時からずっと同じところで働いていました。

どこの会社にもいるかも知れませんが、地道にコツコツ作業をしているけど評価がされない。陽と陰で表現をすると、「陰」のタイプ。ちょっと損な役回りだったかもしれません。

会う度に、「こんなに頑張っているのに評価してもらえない!」とよく嘆いていましたが、ある日この嘆きの前にとても驚く言葉を言うんです。

「私はずっと独身で、育休も取らず休むことなくずっと働いてるのに…」


好きな先輩なんですけどね、この言葉には疑問を覚えました。

その他の同僚女性が結婚・出産を得て、育児休業を次々と取っていく。多い人では3人のお子さんを出産し、それぞれ育児休業を1年取っていますのでそういう感情を抱いてしまったのかも知れませんが、論点が違わないかな?と思ったのと同時に、そういう感情を抱く人がいるから「仕事をしながら出産・子育て」をする環境が良くならないんだろうな、と感じました。

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自己評価が妙に高い人の特徴

これは、私が今まで見てきた中での「あくまでも個人の意見レベル」になりますが、自己評価が妙に高い人の特徴は、

「これだけ」「なんで」ワードが多く、「自分」が主体

だと思っています。

・これだけ頑張っているのに評価されない
・何で昇任できないんだろう
・なんでこれがダメなんだろう


きっと、本来評価されるべき枠と、自分が作り上げている枠に若干の相違が生じているのでしょう。

そして、主体が「自分」です。そこには相手がいません。
自分のことで精一杯なのです。

昔の私は、自己評価が異様に低かったです。これは単に私が思うハードルが異様に高く、周りのハードルを超えてても自分の中では「まだやりきれてない!」と思っていたことが原因でした。

妙に高すぎるのも良くないし、異様に低いのもよくない。
客観的に自分を見ることは大切だと感じています。

前出の先輩も似たような感じですよね。
自分が主体でとにかく認めて欲しい。自分がこれだけ犠牲になっているのにという感覚なのかも知れませんが、「育休も取らずに働いているのに評価されない」という論点はちょっとズレていると私は感じます。



「先に与える」は別の姿で返って来ることも

私、昔から職場のメンバーが病気や産休・育休で休むことは、「いつでもウエルカム」というスタンスでいました。

仕事の心配は無用!任せて!しっかり、休んで!


そんなスタンスです。
特に、お子さんが病気で休むママさん職員には、むしろ

「仕事に出てこなくていいから、子どもに付き添ってあげて!!」

と常々言っていました。

私が子どもの頃、病気になっても両親が仕事を休める状況ではなかったので、小学校中学年くらいから調子が悪いと1人で病院に行き、薬を貰い、家で寝ているという経験をしていることから、他の子どもたちが心細い思いをせずにすむなら、そういう環境を作ってあげたいという思いがありました。


20代の頃、通常5人でやっている仕事を2日間1人で回したことがあるんです。

・本人の体調不良…1人
・子どもが入院…2人
・子どもが体調不良…1人

もう、どうしようもない状況です。当時、私は

「何も気にせず、休んでください。仕事なんてどうにでもなります。病気になって心細い子どもに付き添う方が大事です。もし仕事に来たら、子どもが大きくなった時に「そばにいてくれなかった」と言われ続けますよ(笑)」

そんな感じのことを言って、ママさん職員たちを休ませました。

お子さんが体調不良のたびに休まなければならないママさん職員。気持ち的にも、頻度が多くて申し訳なさを感じていたと思うんです。でも、私は常々

仕事くらい代わりにやるし、1日や2日くらい休んだって仕事は回りますから。子どもの為に休んでください。ほら、5歳くらいになったら免疫ついて休む比率も減りますよ。

と言っていました。
お陰で独身なのに「子ども3人育ててる肝っ玉母ちゃん説」が流れましたが…(笑)それでもやっぱり言われるんですよ。「いつもごめんね」と。

だから、こう切り返してました。

「あ、気にしないでくださいね~~~!いずれ、私も同じ状況(育休や子どもの体調不良で休む)になると思うので、その時たくさん助けてくださいっ!」


結局…独身のまま仕事を辞めたので、産休も育休も使うことがなく、子どもが体調不良で…という休みも使うことはありませんでしたが、私が病気になった母の看病をしていたときはたくさん休ませてもらい、仕事もサポートしてくれて、その後母が亡くなったときは「気にせず休みな」という言葉に甘えて3週間くらい休ませてもらいました。
(親が死んだショックで3週間休んだ訳ではなく、『そろそろ危ないから帰ってこれる?』から初七日までが3週間くらいだったんです)

あの時は気づかなかったけど、「これが先に与えるということだったのかな?」としばらく経ってから気づきました。

Aを与えたら、Aが返ってくるわけではないこと。
Aを与えていたら、Bがやってくることもあること。



前出の先輩はその後、ご自身の病気で長いこと入院生活を送ったという話を聞きました。「育休」で休んだことがないのに、ずっと働いていたのに仕事が評価されない!と嘆いていた先輩。

今はほぼ連絡を取っていないのでどういう状況になっているかわかりませんが、「先に与える」ということが違う形でも自分のところに戻ってくるということに気づいてくれているかな?と、今もたまに先輩の発言を思い出すのです。

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事務の人☆山藤友絵(筆文字作家おふじさん)
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